電車の中で、冷や汗がとまらなくなったことがある。
大学院の卒業間近の頃だ。
その日僕はいつものように一番後ろの車両の隅に立って、スマホで論文を読んでいた。
朝のラッシュは過ぎた後で、電車は空いていた。
窓から射し込んでくる光がまぶしかった。
見ていた論文は、前に一度読んだことがあった。
研究の参考にするために、細かいところを確認するだけのつもりだった。
でもある単語が目に入って、頭が一瞬真っ白になった。
僕はその単語の周りをもう一度ゆっくりと読んだ。
単語の意味を検索して、やっぱり勘違いじゃないとわかったとき、汗が背中をつたっていった。
セーターの下のシャツが濡れていく。
そのとき頭に浮かんでいたのは、先生のあきれたような顔だった。
「君ができるって言ったんでしょう? 残念ですが3月での修了は諦めてください」
想像の中で先生がそう言った。
どうしよう。あんなこと言わなければよかった。失敗した。
そんな言葉が次々と頭に浮かんできた。
うまく息ができなくて、汗が止まらなかった。
次の駅で降りようと思った。
ドアに貼りついて、何も考えないように窓の外の遠くを必死で見ていた。
* * *
あのとき僕は博士課程の3年生で、あの日は博士論文の審査が終わって一週間くらい経ったころだった。
審査会の日、主査のハシモト先生は、
「結果は、とりあえず合格です」と僕に言った。
「ただし、指定する実験と解析を行って、結果を追加した論文を期日までに提出してください」と先生は僕に伝えた。
合格という言葉に僕はとても喜んだ。
正直3月で卒業するのは難しいかもしれない、と思っていたからだ。
それに追加する実験と解析は、どちらも難しくないことを知っていた。
それらはもともと僕が審査員の先生たちに紹介したものだったからだ。
審査会で先生たちに質問されたとき、僕は「それはこういう実験をすれば確かめられます」とか、「この解析をすればわかります」という返事をしたのだ。
審査会が終わって一週間、追加の実験はほぼ終わっていた。
あとは解析の方をやるだけだ、そう思って解析方法が書いてある論文を開いた。
それがあの日の朝の電車の中だった。
論文をよく読むと、その解析が僕の研究には使えないことがわかった。
あんなに冷や汗が止まらなかったことはない。
簡単に言えば、僕は審査会で嘘をついたことになる。
終わったと思った。
それから数日、僕はなんとかできないか必死で考えた。
夜もほとんど寝ずに、というか眠れなかった。
それでもやっぱりどうしようもなくて、僕はあきらめてハシモト先生に報告をしに行った。
「すみません、あの解析なんですが……できないことがわかりました」と僕はおそるおそる言った。
「ん、できないってどういうこと?」と先生が聞く。
「その、条件が違いまして、僕のデータには適用できないことが、わかりました」
僕はそう言って、細かい説明を加えた。
先生は何も言わずにうなずいている。
説明が終わり、僕はもうどうにでもしてくれという思いでうつむきながら、先生の言葉を待った。
「うーん、この方法がダメなら、あとはアレかなぁ」と先生は言った。
「えっ?」と顔を上げた僕に、先生は別の解析方法の名前を言って、「知ってる?」と僕に聞いた。
「知りません」と僕が言うと、先生は棚から本を一冊持ってきて、その解析方法について説明してくれた。
それは僕のデータにも使えそうな方法だった。
「わかりました、やってみます」という僕に、先生は「うん、よろしく」と言った。
話はそれで終わりそうだった。
それで僕は思わず、「怒られると思ってました」と言ってしまった。
すると先生は少し笑って、
「怒られる? まぁ、たしかに厳しくしてるけどね。別にいじめたいわけじゃないよ。私も、他の先生も。ただ良い博士論文にしたいだけ」と言った。
そう言われて僕は、嬉しいとか、恥ずかしいとか、情けないとか、いろんな気持ちでいっぱいになって泣きそうになった。
「ありがとうございました。解析、終わったらまたご報告しに来ます」
僕はなんとかそれだけ言って、教授室を出た。
「別にいじめてるわけじゃない」
それは僕がまだ学部生だった頃に、当時の先生に言われた言葉だった。
まさか博士3年にもなって同じことを言われるなんて。
研究で間違えたり失敗したって、怒られるわけがない。
その方法がダメだとわかったなら、他の方法を探せばよかったのだ。
そんなことも僕はまだわかっていなかった。
* * *
結局、追加の解析はうまくいって、僕は無事に卒業した。
今はポスドクになって大学で研究を続けている。
研究はうまくいったり、うまくいかなかったりする。
いや正直うまくいかない方が多いけど、そういうものだと思えている。
でも同じ研究室には、失敗することに恐怖を感じているように見える学生もいる。
「この実験は難しいからできればやりたくない」とか、「失敗しないように一度手本を見せてほしい」とか、「あぁ、またうまくいかなかった。私はもうダメだ」とか言っている。
彼女の気持ちはわかる気がする。
僕もそうだったからだ。
きっと失敗するとマイナスに評価される、という思いが強いのだろう。
彼女は真面目で勉強熱心だ。
たぶんずっと成績が良かったんじゃないだろうか。
でもテストとは違って、研究には正解がない。
失敗を積み重ねて、少しでも良い答えを見つけていくしかない。
だからうまくいかなかったとしても、そのぶん研究は進むから良いのだ。
そんなことを僕は彼女に伝えたかったのだけれど、なかなかうまくできなかった。
でも先生に何か言われてから、彼女は少し変わったようだ。
前より積極的に、新しいことをいろいろと試している。
先生が何て言ったのか気になるけど、聞かない。
聞いてもたぶんマネできないと思う。
漫画に描いたのは僕の想像だ。
でも僕は僕なりに、そんなふうに「失敗を怖がることはないんだ」と、伝えられる研究者になりたいと思う。
いつどんな場合でも、博士が私たちに求めるのは正解だけではなかった。何も答えられずに黙りこくってしまうより、苦し紛れに突拍子もない間違いを犯したときの方が、むしろ喜んだ。そこから元々の問題をしのぐ新たな問題が発生すると、尚一層喜んだ。彼には正しい間違いというものについての独自なセンスがあり、いくら考えても正解を出せないでいる時こそ、私たちに自信を与えることができた。
小川洋子『博士の愛した数式 (新潮文庫)』p.6より