大学で楽しく学問をしてほしい(2)

 

(前回記事↓)

 

「簡単に卒業論文が書ける研究テーマってなんだろう?」

 それが研究室に入ったとき、僕がまず考えたことだった。

 

ほかの研究室に入った友達によると、卒論のテーマは先生が教えてくれるらしい。

「研究テーマの候補を先生がいくつか出してくれて、その中から自分にできそうなものを選んだ」と言っていた。

 

たぶん僕もそうなるだろう。

卒論を書いて無事に卒業するために、なるべく簡単にできるテーマを選ばないといけない。

そう思った。

 

でも僕の指導教官は、研究テーマを教えてはくれなかった。

 

 

研究テーマの間違った見つけ方

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僕は運よく、卒業した先輩の「今後の課題」を見つけ、それを自分の研究テーマにしようとした。

 

そんな僕に、先生は言った。

「それは本当に君がやりたいことなの?」

 

僕が何も言えずに黙っていると、先生は書類の山の中から英語の記事をひっぱり出してきた。

「誰かの論文の、今後の課題を自分の研究テーマにするのは、あまり良い方法ではありません」

先生はそう言って、僕はその記事を読んだ。

 

やってはいけないこと

 

 私は学生で、その後、大学の教員になった。私がいた電気工学科では、学位論文を書く方法は、たくさんの論文を読むことだという考えが定着していた。「論文の最後の章を見ろ。そこには常にopen problem(未解決問題)のリストがある。その中から一つを選んで研究し、ほんの少し発展させられるまで続けるんだ。(中略)」という具合にだ。

 

 不幸にも、この論文の書き方は今でもあちこちで行われており、凡庸な研究を助長している。そして、研究というものが他の誰かの仕事に小さな成果を付け加えることだという幻想を生んでしまっている。さらに悪いことに、そうしているうちに研究が「解くべき問題」ではなく、「解ける問題」によって左右されるようになる。論文を書き、論文を採録するのも、そのような小さな成果を付け加えるような論文を書く人たちになるが、それでは論文が物書きの世界を超えて世の中に与える影響というのは大したものにはならない。

 

"Advising Students For Success" 斎藤太郎さんの和訳より

  

「卒論のために研究してもしかたがないですよ」と先生は言う。

研究は「解ける問題」ではなく「解くべき問題」に挑戦しなくてはいけない、と。

 

そのとき僕は、卒業研究の目的は卒論を書くことじゃないんだと知った。

 

 

勉強と研究の違い

 

じゃあ研究テーマはどうやって決めればいいんだろう?

先生が見せてくれた記事にはこう書いてあった。

 

  一番理想的なシナリオは、学生が私にどんな論文を書きたいかを話して自分自身で研究を行い、かつ、学生がその論文のテーマを選んだ理由が、実際の「顧客」のニーズに基づいている場合だ。 

 

研究がうまくいったとき実際に喜ぶ誰かがいる、そんな研究テーマを選ぶのが良い。

それはまったく正論で、研究とはそのためにするものだと僕にもわかった。

 

なのに、そのとき僕はただ無事に卒業したくて、誰も、僕自身も何が嬉しいのかわからないような研究をしようとしてた。

 

どうしてそんなことになったんだろう?

そう思ってようやく僕は、研究は勉強とは違うと気がついた。

 

僕はずっと「勉強」しようとしてた気がする。

勉強は、自分はまだ知らないことを知って、「知識を受けとること」だ。

卒業研究をするにも、論文を書くことで研究がどんなものか勉強できると思った。

 

でも研究は本来、誰かのために「新しい知識を見つけること」で、勉強とは違う。

それが僕はわかってなかった。

 

研究をするには「卒論を書くために解けそうな問題」ではなく、「誰かのために解くべき問題」を見つけないといけない。

 

出された問題を解く力を高校までずっと鍛えてきたけど、大学からは自分が解くべき問題を探すことに挑戦するんだと、僕は4年生になって気がついた。

 

それからは、先生や先輩たちにいろんなことを聞いた。

読むべき本や論文、面白い研究や研究者の話。

自分がどんな研究分野に興味があって、そこには今どんな問題があるのか、ほんの少しだけわかってきた。

 

 

ある日、東大の先生の特別講義を聞いた。

講義のスライドに出てきた顕微鏡の画像を見たとき、その意味もよくわからないのに、なんでか僕はとても感動してしまって、僕もこんな研究がしたいと思った。

 

 

楽しく学問をするために

 

僕が高校生だった頃、オープンキャンパスで会った学生のお姉さんが、研究テーマを選んだ理由は「カエルが好きだから」と言っていた。

そんなふうに「この研究が好きだ」とか「これが知りたい」と思うものが見えてくると、大学での毎日は本当に楽しい。

誰かに与えられたものじゃなく、自分がワクワクすることをずっと追求できる。

 

「自分が解きたい問題は何か」と問い、学ぶ。

それが大学で学問をするってことだと、今は思う。

 

学問の楽しさをもっと早く知っていたら、僕の大学生活はたぶんずっと違っていた。

 

あの頃の僕は「いかに楽に単位を取れるか」という基準で講義を選んでいたし、講義に出ても出席を書くだけで寝てたこともあった。

先生に質問なんてしなかったし、他学部の面白そうな講義に出たりもしなかった。

図書館の本はレポート以外でさわったことなかったし、論文を読むなんて考えたこともなかった。

 

僕はずっと「勉強」しか知らなかったからだ。

 

僕はもう大学生には戻れないけど、これから大学生になる皆さまには、どうか大学で楽しく学問をしてほしいと思う。