大学院1年目の夏、私は毎日のように先生の部屋に行った。
学会の締め切り間近であせっていた。
「無理に発表する必要はない」
と研究室の人たちは言ってくれた。
でも、他の研究室の同級生たちは発表することが決まっていた。
私もなんとか発表がしたかった。
少しでも研究を進めたくて、毎日先生に指示をもらった。
先生の話をとにかく、ふんふん、わかりました、と言って聞いた。
本当は、ちゃんとわかってなかった。
でも何をやればいいか、というのはわかった。
それで十分だった。
余計なことを聞いている時間はなかった。
作業が終わったら、すぐ先生に報告した。
「うん、これなら発表を申し込んでもいいですよ」
という言葉を、私はいつも期待した。
でも先生は、いつも資料をのんびりと見て、期待外れのことを言った。
たとえばある日、先生は、
「この式は、よく見ると面白い形をしてるね」
と言った。
「面白い?」
と私が聞くと、
「うん、いったいどこからこんな関係式が出てくるんだろうね。ふしぎだと思わない?」
と先生は言った。
「いや……考えたことなかったです」
私がそう言うと、先生は少しさみしそうに、そうですか、と言った。
それから、
「一度この式の導出を自分でやってみてくれますか?」
と私に言った。
そんなことばかりだった。
いつになったら発表してもいいと言ってくれるんだろう?
数式の導出をしながら私は、
「こんなめんどくさいこと、今やる必要ある?」
と思った。
結局その年、私は学会で発表することはできなかった。
それでも発表した私の末路
でも、私はささやかな抵抗をした。
学会がダメなら、学会支部の研究会で発表したい、と先生に言ったのだ。
「なんでそんなに発表したいんですか」
と先生は言っていたけど、なんとか許してくれた。
夏が終わる頃、週末に早起きして、私はその研究会に出かけた。
会場は郊外の大学で、小さなホールにたくさんの人がいた。
午後になって、私の順番がきた。
たった10分の発表だった。
それでも、とても興奮したのを憶えている。
なんだか一人前の研究者になれた気がした。
どうですか、私はこんな研究をしてるんですよ、すごいでしょ?
でも質疑応答は全然うまくいかなかった。
なんでそんなこと聞くんだろう、という質問ばかりされた。
「どうして他の方法を使わなかったの?」
「今の条件を選んだ理由は?」
「もっと一般的な理論で考えた場合、どうなりますか?」
方法は先生が決めました、
条件は先行研究に書いてありました、
他の理論は知らないのでわかりません。
私は正直にそう答えた。
でも、質問してくれた人たちはあまり納得してなくて、それが少し哀しかった。
研究は今のやり方でうまくいってるのに、どうして他のことを聞くんだろう、と私は思った。
研究にいちばん役に立つこと
今になって、あのときの質問は当然だったと思う。
「他にもっと良い方法がありそうなのに、どうしてそのやり方でやってるんですか?」
と聞かれていたのだ。
それに私はこう答えていた。
「他のことは知りません。他の人に聞いてください。このやり方でうまくいってるので大丈夫です」
それは例えるなら、こういうことだと思う。
「東京に行くなら、新幹線の方が速いと思いますが、どうして自転車を使ってるんですか?」
「新幹線については知りません。他の人に聞いてください。自転車でも東京に着くんで大丈夫です」
ちょっと何言ってるんだ? と思われても仕方ないと思う。
なんでそんなことになってしまったんだろう?
たぶん私は、実験とか解析とか発表することに夢中で、研究そのものにあまり興味がなかったんだと思う。
ギターを買ってもらった子どもみたいなものかもしれない。
音を鳴らしたり、曲を弾いてみることに夢中で、音楽で何かを表現するなんて考えない。
音を出すことで何を伝えたいのか。音楽をやることで表現しなければならないのは、そこだ。ところが、技術的なところで自分の立派さを追い求め、そこに価値を置いているだけだと、どんなにうまくても、音楽にはならない。
「あなたは音楽をしているというけれど、気にしているのはピッチとリズムでしょう?」みたいなことになる。
久石譲『感動をつくれますか? (角川oneテーマ21)』pp.160-161
本当に研究がしたいなら、
「知らないのでわかりません」
で終わることは絶対ない。
だって、それがわかったら研究がずっと進むかもしれないから。
逆に、わからないことをわからないままにしていたら、研究は永遠に終わらないかもしれない。
本当に研究してる人にとって、わからないことは恐怖だ。
そんな気持ちは、あの頃の私にはなかった。
だから、研究会で質問してくれた人たちの気持ちもわからなかった。
先生の話がわかってなくても、「わかりました」と言えた。
楽だったと思う。
わからないことは放っておいて、どんどん先に進めた。
実験も解析も発表もできたし、論文も書けた。
何かを理解する、というのは大変だ。
一つわかったと思ったら、十個わからないことが出てくる。
これだけは完璧に理解できた、と思えるまでに、いったいいくつ論文を読むのか。
どれだけ英単語を調べて、何回数式を導出するのか。
それでも間違ってないか不安で、何度も別のやり方で確かめる。
そしてようやく、これだけは知っている、というものができる。
あの頃の自分が聞いたら、そんなめんどくさいことやってられない、と思うだろう。
でも今の私は、そんなことをやったおかげで、研究ができていると思う。
教えてくれる先生はもういない。
参考にできる論文もない。
ぜんぶ自分で決めないといけない。
そんなとき、自分はこれだけは知っている、というものだけが、私の頼りだ。
成績の伸びない子の典型として「わからない問題にこだわり続ける」ということを言っていた。(…)
対して、成績の伸びる子はわからない部分を次々と飛ばし、わかることから済ましていく。要領のいい子が多かったらしい。(…)
「でも、」と前置きして、「僕の経験からすると、わからないことにこだわらない人は1から100は作れるけど、0から1は作れないんだよ。つまりフォーマットをなぞることはできても発明はできないんだよね」と言った。
若林正恭『社会人大学人見知り学部 卒業見込』pp. 38-40