この4コマに、
「どうしても発表論文数を増やしたかったときの話」
とタイトルをつけてツイッターに投稿したら、
「まずどうして論文を増やしたいと思ったのかわからない」
とコメントをくれた人がいた。
おかげで思い出したことを書きます。
どうしてもすごい雑誌に論文を出したかったときの話
”自分の論文がNatureに載ることは研究者の夢だ”
と、昔読んだ本に書いてあった。
その本の主人公は若い研究者で、ある日ついにその夢を実現した。
自分の論文が載ったNatureが届いたとき、彼はそれを抱えて嬉しそうに恋人のもとへ急いだ。
その後どうなったのかは覚えていない。
ただそのシーンだけが今も頭に残っている。
あの本を読んだのは僕が大学の研究室に入ったばかりの頃で、いつか僕もそんなふうになりたいなと強く思ったからだ。
「僕の論文がNatureに載ったよ!」
と言えば、きっと僕の未来の恋人も
「わぁすごい!さすが森野くん。素敵!」
と喜んでくれるに違いない。
それはとても嬉しいことだなぁと、そのとき僕はニヤけた顔で未来を夢見ていた。
大学の卒業研究がカタチになってきた頃、僕は大学の先生になりたいと本気で思っていた。
好きな研究をずっとやっていられるなんて、なんていい身分なんだろうか。
『大学教授になる方法』という本をアマゾンで買って、せまいアパートで一人、夢中になって読んだ。
研究室の飲み会では
「先生みたいになりたいんです」
と、恥ずかしがりもせずに言ったりした。
それがよかったのか、先生はたまに
「PRLに論文があると就職が楽だよ」
とか教えてくれた。
その雑誌に論文を載せることが、その日から僕の目標になった。
東京の大学院に入って、博士進学を考えるころには
「大学の先生になること=すごい雑誌に論文を出すこと」
が僕の中では当たり前になっていた。
すごい論文をたくさん書いた人が大学の先生になれるんだ。
博士課程の選抜コースに入るために、研究計画書を書いた。
具体的に書くことが大切だと思って、最終年度の計画に
「成果をまとめた論文をNature等に出版する」
と書いた。
すると、面接で審査員の先生に
「どうしてNatureなんですか?」
と聞かれた。僕は、
「一番インパクトがあるジャーナルかと思いまして」
と答えた。先生は、
「あなたは一番インパクトのあるジャーナルに載るような研究がしたいんですね?」
と僕に聞いた。
そんなことは当たり前だと、言おうとしてやめた。
僕はNatureに載るような研究がしたいのか?
黙った僕に、先生は少し笑って
「よく考えてみてください」
と言った。
面接が終わって、近くのカフェでコーヒーを飲んだ。
窓際の席で、キャンパスを楽しそうに歩く人たちが見えた。
僕はNatureに論文を出したくて研究してるわけではなかった。
自分の好きな研究がしたかった。
その結果がもしNatureに載って皆が読んでくれたら、それはとても幸せだと思う。
いつか好きな研究をするために、今は我慢してNatureに載る研究をする、という考え方もあるかもしれない。
でも僕は、そんなふうに研究したってNatureに載るわけないと思う。
すごい論文を出した人たちは、自分がやりたくてしかたなかった研究をしたからこそ、他の誰も書けなかったすごい論文が書けたんだろう。
僕はいつのまにか、何のために研究しているのか忘れていた。
これまで僕は何度も思った。
博士課程のとき、次の就職先を探すとき、研究費を申請するとき。
ダメだ、僕の論文の数とインパクトファクターではとても足りない、どうすればもっと論文が出せるのかと。
でも周りにいる人たちがそのたびに、論文を出すことを目標にするなと教えてくれた。
最近、知り合いがいいことを言っていた。
「子供の頃の作文で、将来は有名な雑誌に論文が出せる研究者になりたい、なんて絶対書かないでしょ。
僕は花が好きだから、大人になったら花を研究する人になりたいって書くよ」
彼はこの春に昇進が決まった。
お祝いの花を贈りたいんだけど、相手は花が大好きな植物学者なので、
どんな花を贈ればいいのかもう丸3日悩んでいます。