質問しないことは悪いことなのか

 

 「他に質問はありますか?」

と、先生が聞いた。

みんなは何も言わない。

「では、終わりましょう」

先生のその言葉で、研究室のセミナーは終わった。

 

私のいる研究室では、週に一度セミナーがある。

セミナーでは、研究室のメンバーが持ち回りで研究の進捗を発表する。

学生の発表を聞きながら、先生たちや私はときどきその学生に質問をする。

でも一緒に話を聞いている他の学生たちから質問が出ることは少ない。

そのことが私はすこしさみしい。

 

どうしてだろう?

別に質問しなくたっていいじゃないか。

聞きたいことがなかったってだけだし、セミナーも早く終わる。

なのにどうして私は、学生にもっと質問してほしいと思うんだろう?

 

 

質問しない理由

 

むかし私も、みんなの前で積極的に質問する学生ではなかった。

質問するのはめんどくさい、そう思ってた。

 

みんなの前で質問するのがはずかしいとか、へんなこと聞いてバカだと思われたくないとか、質問するタイミングを見計らうのがだるいとか、そういうの全部ひっくるめて、めんどくさい。

なにか気になることがあったとしても、たぶん調べればわかるし、最悪あとで聞けばいい。

まわりの皆だってそんなに質問なんかしてない。

だから、わざわざめんどくさいことする必要はない。

そう思って、私はほとんど質問をしなかった。

 

そんな私にある日、先生は言った。

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「質問することで、ものを問う力が鍛えられる。それは研究者にとって、もっとも大切な力です」

 

そのとおりだと今は思う。 

でもあのときの私には、そうは思えなかった。

 

ものを問う力が研究者に大事なのはわかった。

それで良い研究課題を見つけられるかどうか決まるから。

でも別に質問しなくたって、問う力は鍛えられると思った。

何かがわからないとか、不思議だとか「思えば」いいんだ。

わざわざ口に出してみんなの前で言う必要はない。

 

そりゃ私だってみんなで質問しあって、ガンガン議論できたら楽しいだろうなとは思う。

風立ちぬ [DVD]』でそんな場面があった。

航空機の研究会で、みんなが「ハイ!ハイ!」って手をあげるシーンが好きだった。

 

でも昔そんなふうにみんなが質問したのは、たぶん他に知る方法がなかったからだ。

聞くしかなかった。

ネットはないし、読める本も限られているし、論文はアメリカ占領軍の作った図書館に行かないと読めなかったそうだ。(参考『飄々楽学―新しい学問はこうして生まれつづける』)

 

その点、今は多くの情報がすぐ手に入るから、そんなに必死で質問しなくてもよくなった。

つまり進歩だ。

質問しない分、ムダなやりとりを省ける。

むしろ今の時代、気軽に質問するなんていかがなものか。

ggrksと火あぶりにされても文句は言えんぞ。

だから、質問しないことは別に悪いことじゃないんだ。

 

あのとき私は、そんなことを考えてた。

 

 

質問する理由

 

それでも私は素直でいい子だったので、先生に言われてから研究室セミナーで毎回一度は質問するようにした。 

やってみるとそれはいい訓練だった。

質問することを探しながら聞くから、話が頭によく入る。

質問を思いついたあとも「こんなこと聞いても大丈夫か?」と心配になって、どんな返事が返ってくるか予想する。

そしたら意外と聞かなくてもわかったりして、理解が深まった。

 

それに、思い切って質問してみたときは、みんな親切に答えてくれた。

 

 「その“A”はなんですか?」

という質問をしたことがある。

「あぁ、これは“Λ”(ラムダ)ですね。“A”じゃなくて」

と先輩が答えた。

私はバカな質問をしたと思って、はずかしくて顔が真っ赤になるのがわかった。

でも先輩は続けて、

「僕も昔、先生に聞きました。読めないですよね」

と笑って言った。

いい質問ありがとう、とお礼まで言ってくれた。

他のみんなも笑ってた。

そのとき私は、なぜかとても嬉しかった。

 

しばらくして、私は気がついた。

質問の一番の目的はコミュニケーションなんだ、と。

質問をするとき、私は相手の考えを真剣に想像する。

質問された人とまわりの人たちは、私が何を考えているのかわかる。

そうやってお互いの存在を確認する。

そこに、同じ時間に顔を見ながら話す意味がある。

質問をまったくしないなら、セミナーなんてする意味がないんだ。

発表の録画を好きなときに観た方がいい。

 

質問をすると、セミナーが私にとって有意義になる。

私の疑問は解決して、いつか同じ質問を誰かに聞かれたら答えることができる。

他の人にとっても、私が質問した分すこしだけセミナーの意味がふえる。

「めんどくさい」をのりこえて、セミナーを有意義にする協力をすること。

それが質問することだ。

 

研究者は何を問うかで「評価される」とはそういう意味だと思った。

口に出してはじめて、まわりの人たちは私の考えから何かを感じることができる。

論文を出すことに似てる。

批判されることもあるかもしれないけど、人に伝えてはじめて自分の存在価値ができる。

科学の継承と進歩に、ほんの少し貢献できるのだ。

 

 

……「科学の継承と進歩」?

いつのまにこんな遠くまで来てしまったんだろう。まとめます。

 

無理に質問する必要はもちろんないと思う。

質問しないことは悪いことじゃない。

誰にも迷惑はかからない。

ただ質問することが尊いだけだ。

最初は、調べればわかりそうなことでも、知らないなら聞けばいいと思う。

質問すること自体をがんばってるってきっと伝わる。

ggrksなんて誰も思わない。

みんな自分の研究を知ってもらいたくて発表してるから。

 

つまり私は、学生の人たちがもっと質問してくれたらとても嬉しい。