いつか博士になる人へ

あるポスドク研究員の思い出

大学を辞めようと思っていた博士課程の院生が北欧に短期留学して救われた話

「あぁっもう、くそっ!」

誰かがそう言って机を叩く音が、今日も研究室に響いていた。

談話スペースの方から大きな笑い声がする。

隣の留学生のイヤホンからもれた音楽が聞こえる。

 

あの頃の僕はそういうことにイライラして、研究が進まないでいた。

あるいは研究が進まないことを、そんなささいなことのせいにしていた。

 

僕が博士課程にいた頃、僕たちの研究室は新しくできた研究棟へ引っ越しをした。

そこでは広いオープンスペースを複数の研究室でシェアすることになり、各研究室は人の高さくらいの薄いパーテーションで区切られた。

僕たちの隣は、コアタイムが長めの黒っぽい研究室が使うことになって、それからパーテーションの向こうは別の国になった。

 

朝、必死で部屋に駆け込んでくる学生たち。

談話スペース(部屋の中にある)でランチパーティが開かれるお昼。

ため息やいらだちが聞こえる夕方。

夜、一斉に帰る学生たち。

 

そのどれもが、コアタイムのない僕たちにとっては新鮮で、はじめは興味深く見守っていた。

だけど時間が経つにつれて、パーテーションの向こうでする音を僕はうっとうしく感じるようになった。

その時はちょうど研究室に留学生が来ていて、彼の世話をし、「だめだ集中しないと」と思っているうちに僕の1日は終わっていった。

 

そんな毎日が続いて、僕はとてもイライラしていた。

誰かが研究のことで質問をしに来ても、僕は面倒くさそうな態度をとったり、「調べればすぐわかる」とか言ってまともに答えなかったりした。

そしてそのことを、夜寝る前に布団の中で後悔した。

 

研究室の先輩は、周りがどんなにうるさくても、後輩が次々質問しに来ても、涼しい顔で研究を進めていた。

それに比べて僕は何をやっているんだろうか。

僕は研究者になれないのかもしれない。

時々そう思うようになった。

 

当時、僕は税金で生活をさせてもらって研究していたから、「何とかして研究を進めないといけない。できないならすぐやめるべきだ」と焦っていた。

楽しかった研究生活は、いつの間にか憂鬱な毎日に変わっていた。

 

いよいよ先生に相談しようと思った頃、大学の事務から「海外派遣等の募集」というメールが届いた。

それを見た僕は迷わず応募した。

とにかくどこか遠くに行きたかった。

研究をしたくなくなっていくのが怖かった。

 

 

研究が憂鬱に感じるのは、ただその場所が自分に合ってないだけかもしれない

 

その年の夏、僕はある北欧の国に3ヶ月間の留学をした。

受け入れ先の大学は、海と森に挟まれたにぎやかな街にあった。

そのときはちょうど太陽が沈まない季節で、街のカフェや公園にはいつもたくさんの人がいた。

 

僕は大学の寮に入って、毎日研究室まで路面電車に乗って通った。

海沿いを走る電車はいつも嘘みたいに空いていて、東京の満員電車が悪い夢だったような気がした。

 

大学で僕は小さな部屋の片隅に、広いデスクを与えてもらった。

ルームメイトは二人の大学院生で、いつも黙々と研究をしていた。

窓の外から、ときどき知らない鳥の声が聞こえた。

信じられないほど静かなところだった。

 

みんな話がしたい時は談話室に行って(コーヒーと紅茶が飲み放題だった)、疲れた時は図書館に行っていた(横になれるクッションやソファーがそこらじゅうに置いてあった)。

 

「ここは最高の環境だね」

と、あるとき僕はルームメイトのケイトに言った。すると、

「研究をするための場所だからね。でも日本人はどこでも集中できるんだよね? “ZEN”だっけ?」

 

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そう言われて僕は、

「…まぁね」

と、どこか遠くを見て答えた。

 

いまだに禅の境地に至らない僕は、その環境のおかげで久しぶりに研究を大きく進めることができた。

 

 

大切なことを忘れるのは、会うべき人たちに会っていないからかもしれない

 

日本への帰国が近づいてきた頃、僕はある国際会議に参加するため、ケイトたちと一緒に近くの港町まで行った。

 

学会初日の夜に懇親会があった。

海賊船みたいな船が港にとめてあって、その上で料理や飲み物がふるまわれた。

 

知り合いはみんなさっさと他の人たちと話をしに行ってしまったので、僕は勇気を振り絞って近くにいたアジア系の学生に声をかけた。

ソンウという韓国の大学院生だった。

 

「こういう場だとうまく喋れなくて」

僕がそう言うと、

「ボクも。話しかけてくれて助かったよ」

とソンウは笑ってくれた。

 

偉い先生方が次々と学生にお酒をふるまってくれるので、僕たちはどんどん酔っ払っていった。

気がつくと僕たちはお互いにつたない英語で一生懸命、全く研究に関係ない話をしていた。

僕は彼の“韓国ではザリガニを食べる”という話にとても興奮したし(理由はよくわからない)、彼は“日本の腐女子”に並々ならぬ関心を寄せた。

 

僕たちがYaoiについて議論していると、彼の知り合いがやってきて、

「向こうに学生が集まってるから一緒に飲まないか?」

と言った。

行ってみるとそこには5人の男女がいて、僕らは輪になって座って話をした。

みんな違う国から来ていた。

 

最初はアルコールの話をした。

「ウォッカが一番だ」「いやいやエールだ」「いやサケだ」と、僕たちは不毛な争いをした。

それぞれの国での研究生活に話がうつった頃、ふとカナダから来たケリーが、

「私は朝、実験台に向かう瞬間がとても好きなの」

と言った。するとみんな、

「僕は論文を書いてる時間が好きだな。ぴったりくる文章が浮かんだときなんか、やっぱり自分は天才だったと思うね」

「数式を書いてる時は最高だよ。心がとても静かになるんだ」

「俺は断然、結果をグラフにする時だね。あのワクワクは他にないよ」

と、それぞれ好き勝手なことを言った。

 

そんなことを僕たちは何時間も話した。

もうすぐ日付が変わろうとする頃、ようやく太陽が沈み始めて、空が暗くなっていった。

それでも誰も帰ろうとしなかった。

 

この時の気持ちは、今も僕の中に残っている。

あの時僕は、ただ嬉しくてびっくりした。

僕が忘れそうだった大事なことを、みんな当たり前みたいに大切に思っていた。

24時の夕焼けの中、あの大きな船の上で、僕は僕が会うべき人たちに出会えた気がした。

 

 

「研究者に向いていなかった」という人たちは本当に向いていなかったのか?

 

東京に戻って、僕は少しずつ研究環境を工夫していった。

いい耳栓を買ったり、ときどき図書館やファミレスに行ってみたり。

そんな程度のことでずいぶん作業がはかどるようになって、研究がまた楽しくなっていった。

そんな程度のことにも、昔の僕は気づけなかったとも言える。

 

 

もしもあのまま大学を辞めていたら、きっと僕は“研究者に向いていなかった”ことになっただろう。

僕があの頃わずらわしく思っていたことは、どれも人が聞いたら笑うような小さなことで、とてもやめる理由にはならない。

じゃあかろうじて研究を続けている今の僕は“向いていた”ことになるのだろうか。

多分、向くとか向かないとかはそんな小さなことで変わるようなことなのかもしれない。

 

向いてるかどうかは結局わからないけれど、とりあえず楽しいから僕は研究を続けている。

きっと研究をしてる人は皆、そんなふうにただ楽しいと思う瞬間があると思う。

でも同時にそれを忘れてしまう時もある。

そうして研究をやめてしまう前に、ただ楽しかった時の話を誰かとできれば、変わることもあるかもしれないと思った。