僕たちの失敗
僕が学部の4年生だったとき、研究室の先輩が言った。
「研究室のウィキを作ろう」
「なんですか?」
と僕は聞いた。
「ウィキペディアみたいに、研究室のことが何でも書いてあるウェブサイト。そういうのがあると、いちいち人に聞かなくてすむでしょ?」
「どうしたんですか、先輩……良いこと言ってますよ?」
それから、僕たちのウィキ作りが始まった。
大学のサーバーにウィキのテンプレートを置いて、ありとあらゆる資料をそこにアップロードした。
進捗報告のスライドや、勉強会で配った資料、ホワイトボードに書いたメモまで写真を撮ってウィキに載せた。
データがどんどん貯まっていくのは楽しかった。
ここに僕たちの思い出が残って、きっと後輩の役に立つ。
そう思うと嬉しかった。
でもしばらくすると、いちいちファイルを上げるのがめんどくさくなってきた。
進捗報告や勉強会が終わった後で、資料を見直し、ウィキに上げて、皆に通知する、という作業がしんどくなった。
ついつい後回しにして、ウィキを更新するのを忘れた。
最初は先輩が「忘れてるよ」と言ってくれたけれど、そのうちみんな忙しくなって、それもなくなった。
半年ほど経って、僕たちの研究室ウィキはほとんど更新されなくなっていた。
たまに飲み会をしたときに撮った写真を、誰かが思い出したようにウィキに上げた。
人間の行動は周りの人間によって作られる
その後、僕は大学院に入って別の研究室に移った。
新しい研究室では、みんな当たり前みたいに研究室のウィキ(データベース)を使っていた。
本当にたくさんの情報が載っていて、困ったときはウィキを見ればだいたいのことがわかった。
コミュニケーションが苦手な僕は、それがとても助かった。
もし新しい研究室にこんな仕組みがなかったら、と思うとぞっとする。
僕は、先生や先輩たちが暇そうな時間を見計らって、いちいち聞かなければわからなかったと思う。
そんなことで神経をすり減らしていたと思う。
やっぱりこういう仕組みはすごく役に立つ。
前の研究室でやろうとしたことは、間違ってなかったですよ先輩、と僕は思った。
それから僕は卒業するまでずっと、研究室ウィキを使い続けた。
なぜ新しい研究室ではウィキをうまく使えたのだろうか?
こういう仕組みは便利だけど、実際に作って使い続けるのは大変なのに。
思いついた理由を3つ書いてみる。
前の研究室でもこうすれば良かったんだな、と思ったこと。
知識をシェアする仕組みを作るコツ
1.資料を使う前にシェアする
新しい研究室では、資料は使う前にウィキにアップロードしていた。
当日、みんなはそれをディスプレイで見たり、印刷して持っていったりした。
進捗報告も論文紹介も卒研発表も、事前に資料を保存・共有することで、確実に情報がウィキに記録されていった。
これには予習ができる、というメリットもあった。
先に資料に目を通せるから、知らない専門用語を事前に調べておけたり、間違いを指摘してもらえたりした。
2.新メンバーを管理者にする
これの良いところは、
・ウィキを一番見てほしい人たち(毎年の新メンバー)が確実に見る
・使いづらい/わかりにくいところが改善される(次の新メンバーが楽になる)
・若い力によって、良い新ツールをすぐ導入できる(例:更新のメール通知→スラック通知)
・新メンバーのためなら、と旧メンバーも協力しやすい
前の研究室では、先輩ががんばって管理してたのがよくなかった。
知らない人たちが使いやすくする仕組みが必要だった。
3.先生が使う
結局これが一番大事な気がする。
先生の影響力は絶大。
たとえば先生が定期的にウィキに一言書きこむだけで、みんなウィキ見るようになると思う。
前の研究室では先生がウィキにノータッチだった。
先生が使わないと、先生とコミュニケーションを取るために別のツール(メール添付とか)を使わないといけなくて、いっきに新しいツールの導入がめんどくさくなる。
もし先生が非協力的な場合、先生を説得するには、
「あの〇〇先生も使ってますよ」
と言うと効果があるかもしれない。
「人は15〜35歳の間にできた技術はよいものに感じるが、35歳〜に生まれた技術は何か良くないものに感じる」と言う話を聞いて、かつて研究室にスラックが導入されたときのことを思い出した。学生たちがいくら薦めても先生の反応は「セキュリティがー」「保存サーバーがー」で否定的だった。
— 森野キートス (@ki1tos) 2018年12月23日
スラック導入の決め手になったのは、情報系の先生の研究室でスラック使ってたこと。うちの先生と同年代。スラックのメリット・デメリットをまとめた学生の努力より「あの先生も使ってますよ」の一言が有効だった。新しいものはすでに信用してるものとつながってれば信用してもらえるらしい。どうやら。
— 森野キートス (@ki1tos) 2018年12月23日
限られた時間で大事なことをするには、ムダなことをしない工夫がいる
ウィキを例にしたけれど、今はもっと便利なツールがあると思う。
逆にそんなツールを使わなくても、知識をうまくシェアしてる研究室もある。
例えば、十五時に必ずお茶の時間がある。私の図書館学の恩師もそれを目当てに図書館学を専攻したと言ってたから、どうやら業界の古い慣例だったみたい。お茶してるから遊んでるように見えるんだけど。あとから考えると実は、その時間帯に細かいノウハウの伝授がされていた。なんていうのかな、調べ物の仕方とかって、細かいTipsの集積だから、体系的な教科書で一度に覚えるんじゃなくて
荒木優太『在野研究ビギナーズ――勝手にはじめる研究生活』p. 62
どんな仕組みでも、基本的な知識を効率良く学べると、その先の話をする時間ができる。
たとえば卒論や学振を書くときも、基本的な書き方がすぐわかれば、先生や先輩からはその先の話が聞ける。
書き方じゃなくて、内容についてのアドバイスがもらえる。
学部4年生のとき、僕は卒業研究をやった。
先生から教わったことの半分くらいは、論文の書き方についてだったと思う。
たぶん、先生は毎年毎年、同じようなことを、僕みたいな学生に言っていたのだろう。
研究室の中でその知識をもっとうまくシェアできていれば、先生からはもっと違う話が聞けた気がする。
ずっと学生ではいられないから、少しでも大事なことを学んでほしい。
そのために時間を大切に使う仕組みが、どこの研究室にもあればいいなと思う。
――じゃあ、いい研究室に入るメリットというのは何なんですか。みんな勝手にやってるだけなら、どこでやったって同じじゃないですか。
「それは、いろいろメリットはあるんです。一つは前にいった情報ね。いい研究室ほどいい情報が早く入ってくる。そして集まってくる人間が優秀な人間だから、お互いのちょっとした会話も刺激になるし、思いがけないヒントも得られる。人の実験を見ていても、その考え方とか手法とか、すごく参考になる。サイエンティストの基本というか、そういうものが教授や先輩の研究を実地に見ることで学ぶことができるのね。
立花隆、利根川進『分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか 精神と物質 (文春文庫)』p. 132