佐藤和俊さん(39)の新聞記事を読んだ。
今から22年前、佐藤さんは飛び入学制度の日本初の合格者になった。
千葉大学が、高い専門能力を持つ「とんがった高校生」のために作った制度だった。
佐藤さんは<物理のスペシャリスト>として、当時17歳で大学生になった。
きっと将来は優秀な研究者になるだろうと、皆が思っていた。
しかし今、佐藤さんは大型トレーラーの運転手として働いている。
(2020/3/22 読売新聞)*リンク先は会員限定
僕はこの記事を夢中で読んだ。
読まずにはいられなかった。
たぶん、記事に大きく書かれた「好きでは食えぬ現実」という言葉のせいだ。
僕は、自分が大学で研究を続けていけると信じているから。
今日は、その現実に向き合ってみたい。
日本初の飛び級合格者はトレーラーの運転手になった
まずは、記事をもとに佐藤さんの経歴をまとめてみる。
- 17歳。
日本初の飛び級で千葉大・工学部に入学。 - 大学を卒業。
同大学大学院に進学。
結婚。子供が生まれる。 - 修士課程を修了。
財団法人の研究所で研究職につく。
1年契約。月給は手取りで15万円。 - 25歳。
千葉大学の非常勤講師になる。
予備校講師のアルバイトをかけもつ。 - 32歳。
千葉大学の仕事が切れる。
研究者の道に見切りをつけ、運送会社に就職した。
佐藤さんの現在について(記事からの引用)
佐藤さんは正社員として家族3人が暮らせる給料をもらい、4年前に千葉県内に一軒家を購入した。週末にはささやかながら外食もできる。
研究の道に未練はない。でもやっぱり物理が好きで、教えるのも好きだ。だから今も、知り合いの子供の家庭教師を引き受けている。
もし研究の仕事があれば、たぶん続けていたと思う。でも考えても仕方がない。今は、与えられた積み荷をしっかりと目的地に運ぼう。
記事に対する反響
(2020/3/30 読売新聞朝刊より抜粋)
新聞投書①
「研究に専念 待遇整えて」原 熙
ある分野において飛びぬけた才能を持つ人が、専門性を生かす仕事で食べていけないという現状は、どこかおかしい。
(中略)
若手研究者が、落ち着いて研究に専念できるよう、研究者たちの待遇や制度を見直す必要がある。
新聞投書②
「地に足つけた生き方に拍手」田中 久美子
肩書だけでは生きてはいけないと世間では言われるが、それに固執してしまう人も少なくない。地に足をつけた生き方を選択したことに、私は大きな拍手を送りたい。
ここまでが、佐藤さんの記事と、その反響についての僕のまとめ。
ここからは、この記事をもとに、「研究者は好きでは食べていけないのか?」ということを考えてみたい。
本当に研究では食べていけないのか?
この記事を読んで、
「今の日本では、研究者になっても食べていけないのか。わかった。研究者になるのはあきらめよう」
と、僕は決断するべきなのだろうか?
きっと違う。この記事はあくまで佐藤さん一人の例に過ぎない。
反対に「研究で食べていけるようになった人」のことも考えないといけない。
そう思ったとき、僕は研究室の先輩のことを思い出した。
彼女は大学院を卒業した後、さきがけというJST(科学技術振興機構)のプロジェクトでアメリカに渡った。
むこうで結婚し、子供を産んだ。
任期が終わって帰国すると、大学で任期のない研究職についた。
思えば僕の周りには、先輩のように「研究で食べている人」はたくさんいる。
むしろ学生を除けば、ほとんど「研究で食べている人」しかいない。
中には佐藤さんより経済的に苦しい経験をした(している)人もいる。
そうやって生き残っている人しか、大学にはいない。
だから、佐藤さん一人の例をあげて、「好きでは食べていけない。それがこの国の研究者の現実だ」と言うのは無理だ。
実際、新聞記事でも、「研究では食えない」というのはあくまで佐藤さんにとっての現実であって、それ以上のことは書いてない。
じゃあどうして、この記事が多くの人に注目され、この国の研究者を取り巻く環境を心配させるのだろうか?
飛び級で入学するような人が研究者になれないこの国はおかしい
それは佐藤さんが「飛び級で大学に合格した」からだ。
そんな人は当時、日本で3人しかいなかった。
佐藤さんの専門能力の高さは疑う余地がない。(物理学の能力)
とても高い専門能力をもっている人が、その力を生かせる仕事(研究職)につけなかったことが、問題視されている。(新聞投書①)
飛び級で大学に入るような人が研究者になれないこの国はどこかおかしい、 と。
じゃあ、どこがおかしいのだろうか?
問題はどこにあるのか?
僕は、「この国の研究職が、専門に特化した人には向いていないこと」にあると思う。
「飛び級入学者=研究者に向いている人」ではない
いま、日本の大学や研究所で研究者として働くためには、専門能力(例えば物理や数学)の高さだけでは足りない。
- 研究の成果を論文や発表でわかりやすく伝える(国語・英語・プレゼンテーション能力)
- 研究の計画、研究費の獲得、研究室と所属機関の運営にかかわる雑務を効率よくこなす(マネジメント・事務処理能力)
- 他の研究者と情報交換する、講義や学生の研究指導をする(コミュニケーション・教育能力)
などなど、じつに多彩な能力が求められる。
何でもこなせるオールラウンダーでないといけない。
でも、佐藤さんが受けた飛び入学制度は、一芸に秀でた人のためのもので、オールラウンダーとは違う。
佐藤さんの高校時代のエピソードが記事にあった。
物理と数学には自信があったが、国語や社会では赤点を取ることもしばしば。(中略)すべての科目で高得点が求められる普通の入試は、自分は突破できそうにない。
専門能力だけが高くても、研究者になれないのが現状だと僕は思う。
オールラウンダーと分業
飛び級制度のある他の国では、研究者ができるだけ研究に専念できるように、分業するしくみがある。
事務処理をする秘書、実験を専門におこなうスタッフ、研究や論文執筆をアシストするチーム。
日本にも、そういった分業を取り入れている大学はある。
佐藤さんのときは、まだ早くて間に合わなかったのかもしれない。
でもこれからは、そんな「専門以外の能力をまわりで補える環境」が、専門に特化した人の助けになっていくと思う。
そして、いろんな能力と役割をもった人たちがどんどん協力できるような環境になっていけば、オールラウンダーをたくさん育てるよりももっと日本の科学は進むと、僕は信じている。
・高IF誌に論文がある先輩
— 森野キートス (@ki1tos) 2018年10月29日
・学振に通った先輩
・海外で研究してる先輩
・優しく教えてくれる先輩
・仕事が早い秘書さん
・共同研究が多い助教さん
・予算が潤沢な先生
がいるかどうかで自分の業績はぜったい変わる。努力や才能だけじゃなくて、人とのつながりも業績欄にあらわれてるんだと思う。
まとめ
・物理に秀でた高校2年生、佐藤さんは日本初の飛び級で千葉大学に合格した。
・大学院を修了後、研究では食べていけず、トレーラー運転手に転職した。
・高い専門能力がある人が、能力を生かせる研究職につけない日本はおかしい。
・今の研究者はオールラウンダー。専門能力だけでなく、いろんな能力がいる。
・専門に特化した人を生かすには、研究者の仕事を分業して、専門以外の能力を補助するしくみがいる。
はたして自分がオールラウンダーかと言われると、そんな気はとてもしない。
でも、僕のまわりの状況は、佐藤さんのときから少し変わってきていると感じる。
今はもしかしたら「好きで食べていける」のかもしれないと思って、僕はもう少しもがいてみようと思う。
最後に、新聞投書②の「地に足つけた生き方に拍手」に、全面的に賛成して終わりたい。
大学で研究者を目指して、長い間がんばっていると、研究をあきらめることがとても難しくなる。
1年契約、ボーナスなし、結婚はせず、子どもは作らず、学生の頃に借りたアパートに住み続け、デスクにはカップ麺の山ができ、いつのまにか40歳を超える。
そんな人を何人も見てきた。
もちろん、好きな研究を心から楽しんでいる人もいる。
でも、そうではないように見える人もいる。
僕にもそんな未来がすぐそこにせまっていると考えると、とても不安になる夜がある。
眠れない。
でも、佐藤さんの「研究をあきらめ、大切な人との幸せな時間を優先する」という決断は、僕に大きな勇気を与えてくれた。
いつか、もし僕に研究より大事なものができたときは、ぜひ見習いたいと思う。