4コマには先生に無茶ぶりされた時の話を書きましたが、その後もっと落ち着いて、3ヶ月くらいかけてレビュー(総説)を一本書く機会がありました。
書いてみると良いことがたくさんあったので、よかったらついでに聞いてください(4000字)。
レビューを書いてよかったことのまとめ
- 研究の過去・現在・未来がほんとによくわかった。だって必死でやるから。
- その後書いた論文のイントロや研究計画書の説得力が増した。
- 業績になるというよりは、研究者として評価されるのが意外だった。
最後にレビューを書いた経緯についてもご参考までに紹介します。以下、詳細です。
1. 研究の過去・現在・未来がほんとによくわかった。だって必死でやるから。
島田紳助さんの「xとyの話*1」を知っていますか?
芸人が売れるには戦略が必要という話です。僕なりにまとめるとこう。
「芸人が売れるためには、x軸とy軸を知った上で自分の立ち位置を決めないといけない。x軸は現在、他の芸人がどんなことをしているか。y軸は過去、他の芸人がどんなことをしてきたか」
僕はこれ、研究者にも言えると思います。それで、レビューを書くために論文を大量に読むとxとyがほんとによくわかる。
でも「わざわざレビュー書かなくたって、論文は普段からたくさん読んでるよ」って意見もあるかもしれない。それに対しては「いや真剣さが全然違うから」と言いたい。ふだん論文読む時に僕が思うことといったら、「この人すごいわかりやすい文章書くなぁ」とか、「ここまでやったかぁ、すごいなぁ」とか、「結局何がすごいのわからんなぁ」とか。気楽なもんですよ。
一方、レビューを書くとなると、読んでる論文を世界中に紹介しなきゃなりません。自分の責任において。「たぶんこんな感じのこと書いてあると思うけど。間違ってたらゴメンネ(´ε` )」では通りません。えぇ歳のおっさんが何を言うとるかと思われるし、思ったことでしょう。そういうことです。研究者としてのプライドをかけて論文を読むことになります。それは切実に。大量に。それがレビューを書くことの最初のメリットです。
*1参考『紳竜の研究 [DVD]』
2. その後書いた論文のイントロや研究計画書の説得力が増した。
大量の論文を切実に読むと、研究背景の書き方が全く変わります。まぁそりゃそうだろうと、皆さまはお思いかもしれません。しかしせっかくですから、その理由を言語化しておきたいと思います。何かの役に立つことうけあいです。
レビューを書くと、現在と過去の研究がよくわかると書きました。xとyです。まず過去からいきましょう。歴史です。研究の歴史を知ることの意味。それはいろいろあります。昔の人がすでにやったことを知らないと車輪の再発明をしちゃうとか、昔の人の失敗を知って同じ失敗を避けるとか。でも僕が特に大事だと思うのは、なぜ今自分の研究が必要なのかっていう理由の根幹が理解できるってところです。そりゃ皆さん、「レビューなんか書かなくたって、自分の研究の重要性はよくわかってる」って言うでしょう。自分の論文のイントロで毎回書くし。
でも僕の言う根幹っていうのは、そういう実用的な理由じゃなくて、もっと研究者の夢みたいなものです。例えば僕の場合だと、細胞の中のタンパク質とかが研究対象なんですけど、論文のイントロで書くことっていうのは、
「タンパク質の働きがどのように制御されているかを知ることは、創薬技術の発展において極めて重要である」
とかです。これが実用的な理由、研究の必要性です。一方で、分野の研究者の夢である根幹の問題意識っていうのは、
「タンパク質は機械のように固くてガシャンガシャン働いているのか、それともフニャフニャしてときどき間違えながら働いているのか」*2
というものです。こうゆうのは壮大すぎて論文にはほとんど書いてない。イントロで風呂敷広げすぎると大変なので。でも、論文の何気ない一文の中にその問題意識が反映されてたりする。そういうヒント、かすかな匂いみたいなものが、大量の論文を読む中で凝縮されていって、あるとき自分の中で言語化される。この瞬間はほんと楽しいですね。そうやって言語化された根幹の問題意識、研究者みんなの夢が明確な形で自分の中にあると、研究背景を書くにしてもストーリーがガラッと変わるというわけです。
次に現在。こちらはサクッといきましょう。その研究分野で自分以外の研究者がどんなことをやっているかを知ることの意味です。4コマにも書きましたが、他の人との相対的関係を知ることで初めてわかる自分の強みがあります。「彼を知り、己を知れば、百戦して危うからず」と僕の小学校の友達も言っていました。そして今後、自分に何が求められているのかを考えることにつながります。これまでの研究でまだできていないことは何か、その中で自分にできることは何か、これを考えることで研究の未来がわかってきます。研究計画を書いても、説得力のあるものになりますね。
*2この分野のことは、敬愛する大沢文夫先生が『飄々楽学―新しい学問はこうして生まれつづける』の中で解説されています。僕の理想の研究者人生が描かれています。
3. 業績になるというよりは、研究者として評価されるのが意外だった。
「レビューを書けば業績が増えるのは間違いない。でも原著論文には劣る*3。よってレビューを書いてる暇があったら原著を書くべし。はい論破」と言う人。もうちょっとだけ聞いてください。僕もそう思ってました。そしてそれは正しい。しかし僕は業績を増やすためにレビューを書けと言っているわけではないです。じゃあ何のために書くのか。それについては、書いた結果僕がどうなったかという話を聞いてほしい。
僕は今回あるテーマについてレビューを書きました。そのテーマを仮に「太宰治の分子動力学シミュレーション*4」としましょう。レビューのタイトルは原著より一般的でわかりやすいし、他の人が読んでくれる確率も高い(レビュー雑誌は軒並み高IFですね)。そうすると他の研究者の人たちに、僕は太宰のMDやってる人っていうイメージがつきます。そうすると、太宰のMDについては僕に聞こうということになって、研究会に呼んでくれたり、学会でシンポジウムを企画できたりします。
そうすると研究者としてやっていけるようになります。そのためにレビューを書くことを僕はおすすめします。業績を積むためではなく。そもそも業績も研究者としてやっていくために積むものですよね。業績よりもっと上の目標をみましょう。上を向くと涙もこぼれなくなります。坂本九です。ありがとうございます。
*3学術書の翻訳も業績としてはあまり評価されないそうです。でも同様に若手研究者にとってとてもメリットがあると思います。Daichi G. Suzukiさんが良い記事を書かれていました。
なぜ研究者は学術書を翻訳すべきなのか?|Daichi G. Suzuki|note
*4昔誰かがほんとに研究されてたと思います。お心当たりの方はご連絡いただけますと嬉しいです。ツイッターDMかmoimoikitos_at_gmail.comまでお願いいたします。
最後に(総説を書いた経緯)
ということで、もしレビューを書くチャンスが来たら、見切り発車でも、いいことがたくさんあるのでやってみることをおすすめします。
ちなみに僕の場合、そのチャンスは共同研究している先生がもってきてくれました。その先生が参加している科研費のプロジェクトで、英文誌に特集号を出すことになりました。そこで僕がファーストオーサーとして一本書いてくれないかという話が来ました。
特集号だと、ハイインパクトファクターの雑誌でもアクセプトしてくれる確率が飛躍的に上がります(というかだいたいマイナーリビジョンで通ります。そうしないと特集号なんて出せないのでしょう)。原著論文を書ければ業績としては最高なのですが、そんなにタイミングよく結果は用意できませんでした。
そこでレビューなら書けるかもしれない、という流れになりました。
- ざっと文献を調べたところ、近年似たようなレビューがでていなかった。
- 当ラボの過去の論文がいくつかこの分野に出ている。
といった点がクリアできてゴーサインが出ました。だって、似たようなレビューがあるなら僕が書く必要は無いですし、全く分野に貢献してない人たちが書いたところで説得力がないからです。
このように僕がレビューを書く機会を得られたのは、共同研究をしていたから、あと生産性の高いラボに所属していたからです。つまりは人のつながり、コネクションが大事だという教訓にたどりつきます。
ここで終わると、そんなこと言われなくてもわかってるよ、と言われそうなのでもう少し書きます。じゃあコネをつくるにはどうすればいいかという話です。結論から言うと、コネをいっぱい持っている人とつながればいいです。僕の場合はうちのボス(指導教員)でした。ただし、そういう人とつながるのは容易ではありません。学会に行って話しかけて名刺を交換したり、懇親会でなるべく隣にいたりしても、ほとんど意味はないでしょう。逆の立場になってみればわかります。
じゃあどうすればいいのでしょうか。僕が今のボスと知り合ったのは、前のボスの紹介でした。ボスが信用している人からの紹介だったから、ボスに信用してもらえました。前のボスはなぜ僕を信用してくれたかというと、5年間の大学院生活でずっと僕を見てたからです。コネをつくるには、つまり人と信頼関係を結ぶには、長い時間が必要です。まずは近くにいる人に誠実でいてください。嘘をつかない、約束を守る、ズルをしない、結局そういう人として大事なことを守り続けるしかない。そしてそのためには何よりまず自分を大事にしてください。自分に余裕がないと人に誠実ではいられません。自分がやりたいことを我慢せず、最優先でやってください。結局人間関係に近道はないんだと思います。たまに「こっちに近道があるから来いよ」みたいなこと言う人がいますけどね。ないから。何度も行っては戻ってきた僕に言わせれば、それは悪魔のささやきです。遠回りに見える道を進みましょう。こういうのを古いことわざで「急がばまわれ」っていいます。えっ?それも知ってるって?まいったなこりゃ(´ε` )