なぜ博士号をとったのに大学教員にならないのか

春が来て、僕の少ないポスドク(博士研究員)仲間たちがまた何人か大学を去っていった。

一流大学で博士号を取り、一流論文誌に研究を発表した彼らが、それでも大学教員になることをやめた理由はさまざまだ。

お金だったり、子どもだったり、別にやりたいことが見つかったり。

だけどそれぞれの理由の根っこにあるものは、たぶんみんな同じだと僕は思っている。

 

博士課程を終えた後にいろいろな問題が降りかかってくることなんて、僕たちは博士課程に入る時に十分わかっていた。

給料が低いことも、結婚して子どもを持つことが難しいことも知ってた。

それでも大学教員になりたいと思ってハカセになった。

大学で好きな研究をやること以外に、やりたいことなんて考えられなかった。

 

それなのに、どうして今さら大学教員になることをあきらめるのか。

お金がない生活に嫌気がさしたから?

運命の人に出会ってしまったから?

自分の天職は他の仕事だったと気がついたから?

 

たぶん本当のところは違うんじゃないだろうか。

人はそんな簡単に変わらない。

いつまでも夢をあきらめられない、僕たちはそういう人種だった。

 

「大学教員になるのはやめよう」

ポスドクとして働いたこの数年間、僕も何度もそう考えていた。

 

子どもの頃からあんなに憧れた職業を目の前にしながら、僕もまた今になってどうして大学を離れようとしているのか?

僕が思う理由を書いてみる。

 

 

ダメなハカセになりたかった

子どもの頃、本や漫画に出てくるようなハカセになりたかった。

不思議なことが大好きで、いつも何かを研究していて、たまに失敗するけれど、必ず何かすごいものを発明してくれる。

それが子供の僕の、ハカセのイメージだった。

ハカセが研究室で一人、いっしょうけんめい研究する姿がかっこよかった。

ハカセは孤独な男なんだ。ぼくも一人でがんばれる男にならないといけない、と思った。

 

幸い、一人でいるのはわりと平気だった。

田舎だったから、近くの山にカブトムシを捕まえに行ったり、ダムに魚を釣りに行ったりした。

たまに大物を捕まえたときは、次の日に学校で仲のよかった友達(はるちゃん)だけにこっそり教えた。皆に自慢するのは嫌だった。

好きなものは大事にしまっておいて、少ない友達とひっそり楽しみたい。そんな子どもだった。

 

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 はるちゃんが驚くのが好きだった

 

 

大学に入学して、はじめて本物のハカセに会った。

大学の先生たちは皆ハカセなわけだけれど、変な人たちだった。

 

講義が終わる時刻がどうしても覚えられなくて学生に時計係を頼む先生とか、成績をつける締め切りにいつも遅れて事務でめちゃめちゃ怒られてる先生とか。

たとえハカセだろうがダメな大人はいることを見せつけられることはショックだった。

しかしよく思い出してみると、阿笠博士にしろオーキド博士にしろ、牧瀬紅莉栖にしろガリレオ(福山雅治)にしろ、人間的に欠けている部分はあった気がする。

ようはすごい研究ができればいいのだ。

 

その点で先生たちはみんな間違いなく一流だった。

星が爆発する瞬間をとらえただの、常識をくつがえす重力理論を発表しただの。

みんな気弱そうなおじさんなのに、人は見かけによらないものである。

 

研究室に入って卒業研究をやってみると、それはとてつもなく楽しかった

そして先生たちはもっと楽しそうに研究していた。

僕もあんなふうになりたい。

そう思って大学院に進み、僕はハカセになった。

 

 

なぜ大学教員にならないのか 

博士号をとったのに、どうして僕は大学教員にならないのか。

 

博士になったら、任期なしのポストに就くまでは給料が少なく、生活は不安定で、将来の見通しがつかないから、結婚ができず、子どもも持てない。

それは僕が大学生だった10年前から、何も変わっていない。

(『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)』が出版されたのは2007年)

 

いつかそんな状況になることをわかっていて、それでも僕は大学院に入った。

それくらいハカセに、大学教員という仕事に夢があったからだ。

 

大学から追い出されるわけじゃない。

なにがなんでも大学にしがみつこうと思えばできる。

非常勤講師をやるなり、無給研究員になってお金はバイトで稼ぐなり、自分ひとり食いつないでいく方法ならいくらでもある。

芸人、俳優、ミュージシャン。いつか夢をかなえるために、そんなギリギリの生活をしている人たちはいる。夢のためなら人間はそれくらいできる。

なんで今の僕はそれができないのか?

 

大学教員に夢がなくなったからだ。

 

ポスドクをとりまく環境はずっと変わっていない。

変わったのは、大学教員という職業だ。

 

大学の法人化で、運営交付金が1400億円以上減った。1

研究資金を得るために使う時間が増え、大学教員の研究時間は25%減った。2

日本の研究発表数は今も減り続けている(2018年までの7年間で20%減)。3

(参考:1日本経済新聞 2019/2/2 2 令和元年度版科学技術白書  3Nature Index 2019 Japan

 

若い研究者は今の大学で生きていくだけで毎日必死で、古き良き時代を過ごしたゆとりある先生たちは団塊世代の大量退職とともに消えた。

僕が学生の頃に、いつかこうなりたいと憧れた先生たちはもういない。

 

日本では大学教員の評価システムが定着し、競争の時代になった。講義シラバスの公表を義務付け、授業内容を学生が評価する大学がほとんどだ。インターネットを検索すれば、教員の業績がわかる。発表論文や著書、受賞歴などがリストになって出てくる。そしてマスコミや政府が競争を煽る。

 

だが、やりたくない研究に何の意義があるのか。履歴書の厚みは増す。しかし個性は殺される。「客観的」で「公平」な評価方法は質より量を重視し、常識を疑う少数派の金脈を潰す。(中略)書類作りが増え、教員の官僚化が進行する。すでに教授は研究者から中間管理職に変質した。

 

小坂井敏晶『答えのない世界を生きる』pp. 128-129

 

「もう大学教員になりたいと思わなくなった」

それが大学教員にならない一番の理由だと僕は思う。

夢がなくなった。実際に日本だけ博士課程の進学者数が減り続けている

みんなハカセになんかなりたくないのだ。

そんな哀しいことがあるか。

 

 

ハカセ研究員の生活

博士号を取った後、僕はポスドクになった。

 

ポスドクの生活はだいたい思っていた通りだった。

給与は、企業に就職した友人の半分くらい。

任期は一年。

研究室運営に関わる雑務は学生の時とは比較にならないほど増えた。

講義もやった。ポスドクの義務じゃないと思うかもしれないけど、大学教員の選考で教育経験は重視される。将来のためにもやった方がいいと言われればやるだろう。

学会があるたびに賞に応募した。自分の研究のすごさを必死でアピールした。

研究会に呼ばれれば必ず参加した。

懇親会にはいつも参加し、先生方に挨拶して回った。

研究費の申請書を何日もかけて書いた。

そして来年の職を得るために、なによりもまず論文を書いた。

職のために論文を書いた。

論文のために研究をした。

 

「本当にやりたい研究は、いつか落ち着いた時にやるとして、とりあえず今はすぐ論文になりそうな研究をしよう」

 

振り返ってみればこの数年間、ずっとそう思っていた。

 

「いつか」はいつ来るのだろうか?

助教になったら? 准教授になったら? 教授になったら?

 

僕は研究室を見回し、先生たちの姿を探してみた。

教授は出張でいなかった。准教授は講義でいなかった。助教は研究費の申請書を書いている。

みんな今日やるべきことをやっている。

 

「こんな研究ができたら面白いね」

先生たちはたまにそう言うけれど、やれたことはない。

 

「いつか」はもう来ない。そう思った。

 

それから僕は、賞に応募するのをやめた。

懇親会に出ることをやめた。

非常勤講師の依頼をすべて断った。

 

論文にならなくてもいい、そう思ってずっと温めていた研究をはじめた。

研究費を申請することもやめた。そもそもお金のかからない研究だった。

 

公開している僕の研究業績は更新されなくなった。

だけど僕は今の毎日にとても満足している。

学生の頃に戻ったみたいだ。

僕はこういう研究生活を送りたかったんだと思った。

 

論文数を増やし、学会の賞を総なめにし、多くの研究者と仲良くなって、大きな研究費を獲得し、スケールの大きな研究をする。そんな研究生活はもちろん素晴らしいと思う。

そういうのが好きな人はたくさんいるし、尊敬している。

ただそれは僕がほしかったものではなかった。

僕はただ好きな研究を、少ない仲間と一緒にひっそりとやっていられればよかった。

 

僕は今の大学教員には向いてないのだろう。

それは仕方がないと思う。

でも僕が大学を離れるその日までに、せめて僕がむかし先生に教えてもらった研究の楽しさを、今の学生の人たちにも知ってほしい。

研究の楽しさを伝えるには、まず僕が研究を楽しんでいないといけない。

そう思って今は毎日を過ごしてる。

 

安楽死みたいなものかもしれない。

アカデミックな安楽死。なんかいい響きだな。この記事のタイトルにしようかな。

 

 

ダメだ、何のことだかさっぱりわからない。