世界の主要国で博士号取得者の数が増え続けている。
そんな中、「優秀な学生がどうしてお金を借りてまで博士課程にいき、博士号を取ろうとするのかわからない」という海外の記事を見かけた。
企業に就職すれば、研究をしながら高い給料がもらえるのに、というわけだ。
このことは、これらの国の学生が博士課程にお金以上の価値を見出している証拠だと思うのだけど、一方で日本だけ博士号取得者の数が減少している。
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科学技術指標2016・html版 | 科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)
つまり日本の学生だけは博士課程に進むことにあまり意味を見いだせていないということだ。
それはどうしてなのか 、自分が博士課程に進んだ理由を思い出して考えてみたい。
初めて研究室に配属された大学4年生の春
ぼくの通っていた大学は、山と海にはさまれた坂の街にあった。
ぼくたち大学生はながい坂を登ってキャンパスまで通っていた。
ぼくの学部はとくに上の方にあって、ふもとの駅からだと30分は坂を登ることになる。
もはや登山だ。ふもととは空気が違う気がする。
だからぼくの知り合いはみんな原チャリやバイクに乗っていた。
乗ってないのなんて一部のかわいい女の子たちだけだった。
その女の子たちはバスや親の運転する車で通ってるわけだが、たまに同級生(男)のバイクに乗せてもらって行き帰りしていた。
そこで、そこそこ頭が回る系の男子はだいたい「バイクをもっていればかわいい子と付き合えるかもしれない」とひらめき、必死でバイトし、親に頭を下げ、免許をとり、バイクを買う。
しかしバイクが彼女を作ってくれるわけではなく、身だしなみやコミュ力やフラれる勇気といったことが重要だという事実に気づくほど賢くはなく、あるいはうすうすわかっていながら気づかないふりをし、バイクに乗っているけれど彼女はできなくて、ただ無駄に高いガソリン代や維持費を払うことに汲々とし、なぜ自分はバイクに乗っているのかわからなくなった男たちがキャンパスにあふれた。
彼らはやがて一緒に大学裏の山にツーリングに出かけ、ふもとの町並みを眺めながら「お前のバイクかっこいいよな」「いやいやお前のもシブイよ」とか言ったりしていた。
全部ぼくが3年生の頃の話だ。
4年生になって、ぼくは卒業研究をするために研究室に配属された。
4月も中頃になって、ふもとの街の桜が散りはじめる頃だった。
バイクで坂道を登ると、キャンパスの桜が満開になっていた。
研究者になって知りたいこと
ぼくが配属された研究室は、キャンパスのすみにひっそりとある建物の中にあった。
その建物は自然棟と呼ばれていた。
建物の周りに花壇や鉢植えが置いてあったり、廊下に虫かごや水槽が並んでいたり、雲や気候変動の研究ポスターがびっしり貼ってあったり、屋上に望遠鏡や気球やソーラーパネルが置いてあったりした。
3階の薄暗い廊下の奥に、ぼくの研究室があった。
角名と書いてスミナ研。
ラボでの生活が始まって一週間くらいたった頃、スミナ先生とどんな研究をしようかという話になった。
「キミは何が知りたい?」
先生はぼくにそう聞いた。
「ぼくが知りたいこと、ですか…」
「そう。『自分はこれが知りたいんだ』ってことがあるといい。そうすると研究者として一本筋が通る」
「うーん…先生の知りたいことはなんですか?」
とぼくは参考までに聞いてみた。
「うん?…うーん」
と座ったまま伸びをして、先生は言った。
「生命とは何か」
そのあとラボの先輩たちも一緒になっていろんな話をしてくれた。
特に先生はやっぱり博識で、知らないこと何かないんじゃないかってくらい、いろんな分野の研究や、研究者のエピソードなんかを話してくれた。
「なんでもいいから、自分のやりたいことを考えてみて」
先生はそう言って教授室に戻っていった。
窓の外はすっかり真っ暗になっていた。
スミナ先生は学生に研究テーマをくれない先生だった。
研究テーマは好きなことでいいと言われて、ぼくは素直にうれしかった。
自分がやりたいことはなんだろうか。
研究室に山ほどあった本を読みながら考えた。
スミナ研の学生室の半分は本棚が埋めていた。
天井まで届く本棚が壁という壁にあり、それでも足りずに本棚が大きなドミノみたいに並んでいた。
だいたいの本はタイトルの意味すらわからなくて(例えば『まず牛を円柱で近似しよう』とか)、手にとってパラパラとめくってみても、わからないということがわかるだけだった。
そんなことを何週間も続けた。
授業やバイト以外の時間はだいたい研究室で本を読んでいた。
朝はまだ少し寒い時間にアパートを出て、夜は日付が変わる頃、大学の門が閉まるギリギリに研究室から出た。
ラボの先輩も先生も、何も言わずに自由にさせてくれた。
それがすごく嬉しかった。
子供の頃、家の本棚にあった本や百科事典を夢中で読んでたことがある。
そのときのワクワクした気持ちにとても似ていた。
ぼくは研究者になりたいんだとこの時わかった気がした。
博士課程に進む理由
「どうして博士課程に進むのか?」なんてそんなの考えるまでもなく、「研究がしたいから」だ。
だけどもう少し考えてみると、「研究がしたい」というのは2種類に分けられる。
1. 研究が目的のタイプ
これは研究すること自体が楽しいから、研究をやりつづけるために博士課程に進むタイプ。
- 新しい実験装置が使えるようになったり、プログラミングスキルが上がったりするのがとても楽しい
- 自分が好きな研究方法と嫌いな研究方法がある(実験が嫌いとか)
- 結果にあまり関係ないところでもこだわる(すごく綺麗なコードを書くとか)
- 自分の出した結果に周りの人が喜んでくれれば満足だ
- 研究発表すると、「どうしてそんなこと聞くんだろう?」と思うような質問をされることが多い
2. 研究が手段のタイプ
これは自分が知りたいことを知るために、博士課程に進むタイプ。
- 自分が知りたいことがある(超電導が起こる温度がどこまで上がるか知りたいとか、割れても元に戻るガラスが作れるか知りたいとか)
- 知りたいことがわかるなら研究方法はわりと何でもいい(いろんな方法を調べて比べて、一番いい方法を考える)
- 結果に関係ないところはわりと適当(データの整理が雑とか)
- 自分の研究が十分かどうかは結局自分が一番知りたい
- だからいろんな角度から結果を検討するし、質問やアドバイスは大歓迎
1のタイプは研究テーマを自分のやりたいことに合わせて変えられるから企業での研究に向いていて、2のタイプは研究方法は何でもいいけど自分の知りたいことがあるから大学で教育を仕事にしつつ、自分の好きなテーマをやる方が向いていると言えるかもしれない。
ただ、1と2のどちらかのタイプに分けられるってことじゃなくて、みんなどっちの要素も持っている。
だけどその割合がみんなそれぞれ違ってて、1と2の間のグラデーションのどこかにいるんだと思う。
その上でぼくが思うのは、博士号を取るには2の要素がある程度ないと辛い思いをするかもしれないってこと。
博士号に値する研究をしたって結果で示さないといけないから、どうしたって自分の研究テーマや結果と徹底的に向き合うことになる。
そこでテーマが自分が知りたいことじゃないとどこかで「まぁいっか」って思ったり、先生や周りにアドバイスされても「めんどくさい」って思ってしまう。
そうなると研究がただの作業になってしまうし、審査会で質問されても答えられないことが多くて辛い。
だから自分が知りたいことは何かって考える時間は、博士課程を楽しく過ごすためにとても大事なことだと思う。
スミナ研はもうなくなってしまったけど、あんな時間を過ごせる研究室が今どれくらいあるだろうか。
研究室配属と同時に先生に研究テーマを聞いたり、ラボを卒業した先輩の研究の中からやりかけのものを見つけたり、とにかく業績を出すことを優先して早く研究を始めないと、研究者としては生き残れないと言われる。
でも最初から業績業績言われた学生と、好きなことを好きに研究すればいいと言われた学生の、どっちが博士課程に進みたいと思うだろうか。
学生が博士課程に進む理由を見つける時間を大切にしてくれればいいなと思う。