「何で大学院に行ってるんですか?」
はじめて行った街コンで、出会った彼女はそう言った。
「何でって…研究が楽しいから」
ぼくはそう答えた。
「ふぅん。どんな研究してるの?」
「薬を作る研究。抗がん剤とか」
ほんとはぼくの研究はもっと基礎的なもので、抗がん剤は応用可能性の一つにすぎないんだけれど、今はそんなこと話す必要がないことくらいは、そのときのぼくでも知っていた。
「へぇ、すごい。製薬会社とかに就職しないの?」
「うん、とりあえず今は企業に行く必要はないかなって思ってる」
「へぇ〜そうなんだ…がんばってください!」
彼女はそういって、別の男性と話に行った。
彼女の言いたいことはよくわかる。
修士で外資系投資銀行に就職した研究室の後輩は、一年目で年収700万を超えているし、大手製薬会社に就職した友人は、結婚して都内にマンションを買っていた。
ぼくも彼らと同じように就職していれば、彼女の反応も変わってたのかもしれない。
でも彼女はもう、スーツを着た男性と楽しげに話していた。
会場の窓からは、渋谷の夜景がみえた。
窓のガラスに写ったぼくは、無理して買ったユニクロのジャケットを着ていた。
ぼくはこんなところで一体何をしているのだろうか、と思った。
「研究が楽しいから」という一言につめこんだ思い出
博士課程に入ったある日、ぼくは研究室でひとり、こんなグラフをながめていた。
縦軸はある実験で得られた数値で、横軸はぼくらが考えた(というかほとんど先生が考えた)理論による計算値だ。
ぼくらの理論で、Aが大きくBが小さくなることは説明できた。
でも、どうしてCが大きくDが小さくなるのかは説明できなかった。
そして、この研究分野にいる人たちが知りたいのは、まさにそこだった。
これらのデータがみんな直線に並ぶような新しい理論をつくりたい。
そのときぼくは、そのスタートラインにいた。
ぼくらがまずやったことは、もとの理論を少し変えること。
今までは無視していたささいなことが、もしかしたら大きな影響をもつのかもしれない。
ニュートンはりんごが落ちるのをみて引力の理論を作ったという話があるけれど、もっと正確な落下速度を計算するには空気抵抗も考えた理論にしないといけない、みたいなこと。
先生はあれこれいろんなアイデアを出してくれた。
中には「いや、それはさすがにないんじゃ…」みたいなものもあったけれど、可能性の高いものから一つずつ全部試した。
その可能性はないという根拠を示せないかぎり、人のアイデアを否定することはできない。
ぼくの何十日にもおよぶトライアンドエラーの結果、得られたベストの結果はこんなグラフだった。
あんま変わってねぇ。
「うまくいかない方法を発見したのだ。失敗ではない」的なことをエジソン先生はおっしゃっていたけれど、たとえばぼくが同じセリフを博士論文の審査会で言ったとして、「おぉ、これは一本とられましたねぇ。山田くん、森野さんに博士号を一枚あげて」と主査の先生は言ってくれたりするのだろうか?…あぁ…もしかしたら言ってくれるかもしれない…ウフフ
そんな感じで、そのときのぼくの精神状態は崖のギリギリ外まで追いつめられていた。
ぼくはとりあえず結果を先生に報告しようと、教授室のドアをノックした。
どれだけの時間がたっただろうか。
テーブルの上にはぼくが作ったグラフと、関連論文が乱雑に並び、ホワイトボードは計算式とグラフで真っ黒になっていた。
窓の外はすっかり暗くなっている。
あれ、今日昼ごはん食べてすぐここに来たんじゃなかったっけ?
ふと、計算式をにらんでいた先生が言った。
「しかたない、逆からいきましょう」
「逆?」
「我々の理論に何がたりないのか、今のやり方ではどうやらわかりそうにありません。そこでとりあえず未知の変数xとして理論に組みこんでしまいましょう。そうすれば、理論値が実験値と合うようにフィッティングすることでxの値が決められる。その値を見て、たりなかったものが何か考えるということです」
その後、ぼくは何日かプログラミングと格闘してxの値を決めた。
結果を見せると先生は、「おぉ、これは…なるほど、すばらしい」と言った。
そして先生は、ぼくの知らなかったある現象について教えてくれた。
その瞬間、すべてがわかった気がした。
さっきのグラフの右下半分にデータがなかった理由とか、
先生があんなアイデアを出した意味とか、
関連論文にあの一文が書いてあった理由とか。
これまでぼくがスルーしてきたいろんなことが突然、頭の中に浮かんでは消えていった。
このとき感じた、とても嬉しいんだけど、どこか少し怖いような興奮に、ぼくはずっととりつかれている。
それから、ぼくはその現象を取り入れた新しい理論を作り、確認実験を行った。
予想どおりの結果がいっぱつで出たことなんて、この時がはじめてだった。
これを論文にして報告すれば、他の人も同じように狙った結果が得られる。
そうすればまた、新しい研究が始まるんだなと思った。
研究は楽しかった。
「研究が楽しいから」と言うたびに僕が思うこと
「研究は山登りに似ている」と、前に先生が言っていた。
研究者はみんな、自分の登りたい山を見つけて登っていく。
一つ山を登ると、そこでしか見えない景色があって、山を降りたら「こんな景色だった」とか「向こう側にもっと大きな山があった」って、みんなに伝える。
あのときのぼくは、先生に手とり足とりガイドしてもらいながら山を登った。
今度は自分の力で新しい山を登ってみたいと思った。
お金とか、家族とか、人生とか、大事なことはたくさんあるけど、「どうして山を登るのか」と聞かれたら、「山を登るのが楽しいから」と答える。
ぼくにとって、研究はもっと大事なことなだけで、それは間違っているんだろうかと、いつも思う。
あいかわらずお金はないし、家族には心配かけてばかりだし、人生設計はままならないけれど、
新しい論文に感動したり、自分が思ってたよりもいい発表ができたり、また追加実験かぁとか思いながらも結果がちょっと楽しみだったりするから、ぼくはまだこれを続けるんだと思う。
あぁ、「研究が楽しいから」って一言につめこんでるいろんなことを、VRとかで共有できたらいいのになぁ。
そしたらきっとあの女の子も
「そうですね!超わかります!とりあえず二人で飲みに行きましょう!」
って言ってくれたはずなのになぁ。
はやく時代が追いついてくれないかなぁ。