今年もまたこの季節がきた。
大学では、学生が毎日どこかで研究発表をしている。
卒業研究発表会や、修士論文・博士論文審査会とか、その練習で。
いつもはジャージでふらふら廊下を歩いている大学院生が、スーツを着てトイレでネクタイを直していたりする。
それをぼくは天使の笑顔で見守っている。
あぁ、ぼくにもそんな日があったなぁ、と。
鏡ごしに目があった彼は、なぜかとても驚いていた。
きっとぼくの心の応援が届いたのだろう。
いつの間にかぼくは学生ではなくなってしまったので、このごろは研究室の学生たちに発表指導をしたりしている。
とくに卒研発表の練習なんかでは、学部生たちはひのきの棒と布の服みたいな装備で、かつ悪い魔女に混乱状態にされているので、先生とぼくは細心の注意を払いながら、ダメージを与えないように、学生が覚醒するための呪文を唱えている。
ハンターハンターでいうなら、ゴンたちの念を目覚めさせたウイングさんみたいなものだ。
(悪意のあるものが行えば、死ぬことだってある)
そんなことをしていると、よく思い出すことがある。
ぼくもまた、長い時間をかけて、卒研の発表指導をしてもらった。
いつかの卒研発表で、ぼくは何を学んだのか、今日は考えてみたい。
卒業研究発表の思い出
ぼくが卒研発表をしたのは、まるで春みたいに暖かい、2月のある日のことだった。
ぼくの一つ前の発表が質疑応答の時間になって、ぼくはそろそろと席を立った。
となりに座っていた彼女が、
「がんばって」
とぼくに言う。
ぼくは軽くうなづいて、薄暗い講義室を中腰で移動した。
緊張で体が冷たい。
心臓の音が聞こえる。
「…では時間ですので、質疑応答はここまでとさせていただきます」
と司会の先生の声が聞こえた。
「えー次は…スミナ研究室の森野さんです。それではどうぞ」
「はい、よろしくお願いします。私の研究は…」
…という感じでぼくの卒研発表は始まった。
このときぼくに本当に彼女がいたのかという疑問はさておき、ここにいたるまで、ぼくは発表に関して、研究室の先生ならびに先輩たちにいろいろなご指導をいただいた。
そのときぼくが学んだことは大きく3つあった。
1.スライドはトークを決めてから
当時の研究室にはポスドクの人がいて、ワンピースの黒ひげによく似ていた。
なのでここからは、ぼくがもらったダメだしを黒ひげの声でお送りします。
ゼハハハハ!!!! おれの、時代だァ!!!!
「実験①」!?
なんだそのスライドタイトルはァ!!!!
何のためにどんな実験をやったのかァ!!??
みんなそれが知りたいんだァ!!!!
いいかァ、スライドタイトルには魂をこめろォ!!!!
ワンスライド・ワンメッセージ!!!!
そのメッセージをスライドタイトルにかけェ!!!!
はぁ、はぁ…疲れたので黒ひげやめます。
まぁ、「実験①」とか「結果」とかはわざわざ書かなくてもよくて(実験や結果の数は重要ではない)、もっと大事なことを書けということ。
何でそんなスライドタイトルにしてしまったかというと、 スライドを作りながら発表内容を考えたから。
論文書くときと同じ感じで、章タイトルをまずスライドのタイトルに書いて、内容を埋めていった。
イントロ、方法、実験①、実験②、結果①…
それがダメだった。
卒研発表はスライドを提出して終わりじゃない。
自分がどんなふうに研究を話すかが一番大事。
だからぼくはまず、どんな話をするかを考えるべきだった。
発表時間内に伝えるべき最低限の情報を紙に書いてみる。
どんな実験をして、どんな結果が得られて、どんな意味があるのか。
この研究の重要性をわかってもらうために、イントロで伝えるべき情報は何か。
まずは「自分が何を話すか」だけを集中して考える。
自分が話したいことと、話すべきことを区別する。
そのためには「聞いてる人が何を知りたいか」を考えることが役に立つ。
例えば「自分は話したいことだけど、研究の本筋にほとんど関係ないこと」なら、それは聞いてる人を混乱させるだけなので話さないことに決める。
2.スライドは脇役、主役は自分
そして話すべきことが決まったら、言葉で伝えづらい情報をスライドで見せることを考える。
スライドは話の補助にすぎなくて、あくまで主役は自分。
そう考えると、実験装置の写真や、結果のグラフ、反応モデルの図とかはスライドに貼るべきだなとわかる。
あとはそのスライドを見せながら話す内容で、これだけは伝わってほしいことをスライドタイトルに書くくらいでいい。
もし会場で誰かがくしゃみして、自分の声が届かなかったりしたときのために。
スライドの情報は少ない方がいい。
スライドの情報を追っている間、聞いている人たちは自分の話を聞いてくれないから。
自分が研究で経験した苦しみも感動も、スライドでは表現できない。
自分の声を聞いてもらうこと、顔を見てもらうことに発表の意味がある。
不安になって、いろいろ情報をスライドに書きこみたくなる。
でもそれは聞いてる人の負担になるだけだからやめる。
もし書いておかないと忘れそうで不安なら、紙に書いて持っておいたり、予備のスライドに書いておく。
あとは、基本的な科学の約束を守ること。
有効数字をそろえるとか、文献情報をつけるとか。
(相関係数0.987562345ってなんだァ!!!! 学生実験で何をやっていたァ!!!! ゼハハ(以下略))
有効数字をそろえると、それ以下の意味のない数字を見せないですむし、文献情報をつければ、それがエビデンスに基づくことだと伝えられる。
こういう約束ごとは情報を正確に伝えることを助けてくれる。
不安なときは、”卒論発表 スライド 例”とかで検索して、自分のスライドと比べてみる。
3.発表が伝わらない最大の理由は、自分がわかってないから
例えばもし、何か自分がわかってないことがあったとして(一般相対性理論とか)、わかってないままそれを誰かに説明したら、それはきっと相手もわからない。
当たり前だ。
同じように、もし自分が自分の研究についてわかっていなかったら、どんな方法で研究発表してもきっと伝わらない。
自分は、自分の研究を100%わかってるだろうか?
たしかに実験したり、論文書いたのは自分かもしれないけど、気づいてないだけで、わかったつもりになってるだけのことがあるんじゃないか?
それを確かめる方法の一つは「自分の研究を子どもにもわかるように説明できるか」を考えること。
もしできなかったら、それは専門用語に頼った曖昧な理解しかできてない。
If you can't explain it to a six year old, you don't understand it yourself.
(6歳の子供に説明できなければ、理解したとは言えない)
アインシュタイン
結局、卒研発表の準備でやるべきことは、自分の研究をわかりやすく話せるようになることだ。
そのためには、自分の研究全体をいろんな角度から眺めて、どこからみると一番わかりやすいかよく考えないといけない。
もしかしたら、全く新しい研究の姿が見えるかもしれない。
人に伝えようとするときは、自分の研究を再発見する大切なチャンスだ。
スライドとにらめっこしてる時間は、ぼくたちにはない。
卒業研究発表の思い出その後
ぼくの卒研発表は、質疑応答のとき、ある先生にたくさん質問をされた。
ぼくはそのうちいくつかの質問に答えることができなかった。
そしてその先生は、後で私の部屋にくるように、とぼくに言った。
発表会のあと、ぼくは怒られると思って、憂鬱な気持ちでその先生の部屋をたずねた。
でも部屋に入ると先生は、
「あぁ、よく来てくれました。コーヒー飲みますか?」
とぼくを歓迎してくれた。
「あ、はい…ありがとうございます」
戸惑うぼくに、先生はコーヒーを注ぎながらこう言った。
「あの式なんだけどね、私なりに考えてみたんだけど…」
それから1時間ほど、先生とぼくは研究について話をした。
今日初めて話した先生が、ぼくの研究にここまで興味を持ってくれたことに驚いた。
最後に先生は、
「ありがとう。とても勉強になったよ」
と笑った。
それがとても嬉しかった。
面白い研究ができることは楽しいし、嬉しい。
けどその面白さを人がわかってくれるともっと嬉しい。
そのことが伝わればいいなと思って、懐かしい思い出に心をえぐられながら、今日もぼくは学生に聞いている。
「実験①? なんですか、そのスライドタイトルは?」