いつか博士になる人へ

あるポスドク研究員の思い出

研究室をえらぶ理由をもし一つだけあげるなら

(指導教員への圧倒的感謝をこめて)

 

「そうですか、お名前は?」

 

「森野といいます!」

 

そのときぼくは、居酒屋の個室の前で、ひっしに自己紹介をしていた。

 

部屋の中には先生たちがたくさんいて、一番奥の先生は学会の会長をしているそうだ。

 

ぼくのとなりでスミナ先生が

「そう、森野くん。4月から素粒子の研究室に逃げちゃうんだけどね」

とつけたした。

 

「森野さん、覚えておきます。がんばってください」

と会長先生が言った。

 

「はい、ありがとうございます!」

 

ぼくはふらふらとした頭で、なんとかそう答えた。

 

 

学会に研究費で行けた幸運な僕の話

大学の卒業がせまった4年生の3月、ぼくは初めて学会に参加した。

卒業研究でやったことをポスター発表できることになった。

 

ぼくはスミナ先生と博士課程の先輩たちにつれられて、となりの県まで行った。

 

「出張は自費で行くものだと思ってましたよ」

 

電車の中でウメハラ先輩が言った。

先生はしぶい顔をしている。

 

大学のお金で旅行にいけるなんて、ぼくはとてもラッキーなんだなと

そのときは思っていた。

 

 

ポスター発表を終えて、研究室のみんなで夜ごはんを食べにいった。

 

「ぼくはあの先生のやり方はどうも好きになれないんですよ。うつくしくないというか」

ウメハラ先輩が赤い顔で先生に言っている。

 

「ウメハラくんの方法だと、あそこはどういうアプローチがある?」

先生がまじめな顔で聞いている。

 

そんなやりとりを、ぼくはほとんど理解できなかったけど、ただ聞いているだけで、なんだかとてもおもしろかった。

先生にすすめられて飲んだ日本酒が、とてもおいしかったからかもしれない。

 

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「ぼくも…先輩がたみたいになりたいです!」

 

すっかりいい気持ちになったぼくは、先輩たちにからんでいた。

 

「いやぁ、森野くん、博士課程というのはなかなか大変だよ。そもそも博士課程というのはね…」

 

先輩たちは、博士課程はそれはそれは大変だということを、とても楽しそうに話してくれた。

まったくわけがわからない。きっとなにか隠しているんだろう。

 

そのとき、手洗いからもどってきた先生が障子を開けてぼくを呼んだ。

 

「はい…なんでしょうか?」 

 

「いま知り合いと会ってね。すぐそこで飲んでいるよ。彼は学会の会長をやっているんだけど、よかったら紹介しようか?」

 

「えっ?あ、はい、ありがとうございます…」

 

こうしてぼくはよくわからないままに、先生についていった。

 

一歩あるくごとに、酔いがどんどんさめていく…

 

先生は障子を開けて、部屋の中にやぁと手をあげた。

 

部屋の中をのぞくと、人がたくさんいた。

一番奥の、お誕生日席に座っていた人がこっちをみている。

 

「さっき話した学生」

と、スミナ先生がぼくを紹介してくれた。

 

 

僕が研究室を選んだ理由 

思えばスミナ先生は、はじめからちょっと変わった先生だった。

 

はじめてみたのは大学2年生のときで、ぼくは先生の講義をうけた。

 

「これをアンサンブルといいます。…インテリはアンサーンブルっていうんだよ。ふふふ」

とかよくわからないことを、とても楽しそうに話す先生だった。

 

3年生になって、研究実習でスミナ先生がぼくの担当教員になった。

好きな研究テーマについて半期かけて調べて、ポスター発表するっていう実習だった。

 

ある日、進捗報告に行くと、

「わるいけど、5時までに成績を事務に出さないと怒られるんだ」

と言って、代わりに研究室の人たちを紹介してくれた。

 

院生の人たちはとても遠慮がちに、グラフの作り方や、あったほうがいいデータとか、いろんなことを教えてくれた。

 

その後ろで先生はなぜか、他の院生の人となにやら話し込んでいた。あれ、成績は?

 

 

ぼくはなんとなく、そんな先生と研究室の人たちがすきだった。 

 

この研究室はなんだかとても楽しそうだ。

 

 

4年生になって、配属研究室の希望先にスミナ研と書いて出した。

 

そのときのぼくは研究室のルールも、 卒業生の進路も、発表論文も知らなかった。

 

その年のスミナ研希望者は、ぼく一人だけだった。

 

 

もし研究室をえらぶ理由を一つだけあげるなら

結果的に、ぼくは一年で研究室を出た。

 

研究室の発表論文は、一年に一本もなかった。

先輩たちは卒業後の進路よりも、卒業自体があやうかった。

標準修業年限で卒業する人は、修士にもいなかった。

 

研究者になりたいと思ったぼくは、もっといい環境を求めて研究室をうつっていった。

 

競争率の高い試験を一つ二つとくぐるたび、環境の変化はとても大きかった。

  

自腹で出張に行く人はいなくなったし、自由に使える研究設備が多くなって、秘書さんの数も増えた。

 

そのおかげで、ぼくは今も研究ができている。

 

 

でもそういえば、ぼくはどうしてそんなに研究がしたかったのだろうか。

 

今思えば、ぼくはスミナ研の人たちにあこがれたんだと思う。

あそこでは、先のことはあまり考えなくてよかった。

それぞれが選んだ、目の前の研究にただ夢中だった。

 

研究室と言われると、ぼくは今でも真っ先にあの、本でいっぱいの部屋を思い出す。 

 

ぼくの人生を決めたのは、あの部屋で過ごした日々だった。

 

そう思うと、あそこで研究を続けていれば、たとえ研究できる期間は今よりはるかに短かったとしても、ぼくは幸せだった気もする。

 

いつか研究者になるために、いろんな研究室をうつってきたけど、

研究者になってやりたかったことを、あのときぼくはやっていた。

 

ぼくの研究室えらびが正しかったのかは、正直今もわからない。

 

だけど、これから研究室を決めるという人がいたら、いろんな先生がアドバイスされているように、まずはできるだけ多くの情報を集めるのがいいと思う。

知識は力だ。

 

そのあとで、研究室をえらぶ理由をぼくがもし一つだけあげるなら、

その研究室ですごす何年かの時間は、ただその後の人生へのステップや準備期間ではなく、人生そのもので、

その大事な時間を、その研究室の人たちと一緒にすごしたいと思えるかどうかを考えてみてほしい。

 

もしそう思えないなら、ぼくの経験上それは選択肢が足りない。

少し時間をとって、他の研究室に足を運んでみるといいと思う。

 

スミナ先生は、

教授室で寝るからとか言って、日付が変わってもずっと議論してくれる先生で、

ぼくの論文の英語を一単語ずつ一緒に考えてくれる先生で、

別の研究室に行くぼくを、学会会長の先生に紹介してくれるような先生だった。 

 

 

先生、ぼくは今度あの学会で、シンポジウムを開くことになりました。