論理性を鍛える方法

「その論理はちょっと私にはわかりませんね」

僕は学生のとき、いったい何回先生にそう言われたんだろう。

研究の打ち合わせのときや、ラボのミーティングで、あるいは論文を添削してもらったときなんかに、先生は僕によくそう言った。

  

そんなとき僕は、「論理性ってそんなに重要か?」と思った。

本当にすごい発見は論理なんか超えた、天才的な閃きから生まれると思っていた。

偉大な数学者ラマヌジャンは、数式は神が教えてくれると言ったそうだ。

 

「You wanted to know how I get my ideas.(どうやって閃くのか聞きましたよね)」

「My God. Namagiri. She speaks to me.(女神が教えてくれるんです)」

「Puts formulas on my tongue when I sleep, sometimes when I pray. (寝ているときや祈っているときに、舌に数式を書いてくれるんです」

「Do you believe me? (信じますか?)」

 

奇蹟がくれた数式(字幕版)より

 

当時の僕にとって、閃きは何より大事なもので、論理は閃きを説明するためにあると思っていた。

でも今は、論理性があってはじめて閃くんだと考えている。

 

 実は「私は研究者としての素質があるでしょうか?」という類の質問は、切羽詰まった表情をして私のところへ相談に来る学生さんから聞く質問の中で、最も多いものなのです。

 研究者に求められる第一の資質は、意外に思われるかもしれませんが、「論理性」なのです。つまり、突飛なアイデアではなくて、A→B、B→C、故にA→Cというような、確実で緻密な思考能力が要求されます。

 だから天才でなくてもできます、大丈夫。

 ではどうやって論理性から大発見が生まれるのでしょうか? 大発見は往々にして、論理体系の中から論理にはずれるものとして顔を出してきます。論理性がなければ論理にはずれたものを認識できませんから、貴重な機会を逃してしまうでしょう。逆説的ですが、論理が非論理(大発見)を生むのです。

 

中山敬一『君たちに伝えたい3つのこと―仕事と人生について 科学者からのメッセージ』p.137より

 

論理性が研究者にとって大事な理由は上の説明につきる。

しかし昔、僕が初めてこれを読んだときは、

「ふむふむ、なるほど? ちょっと何言ってるかわからないです(*´-`)」という感じだった。

そこでそんな僕に贈ります。聞いてください。

 

 〜 サルでもわかる説明 〜

ここにリンゴとミカンがあります。

リンゴは1個100円で、ミカンはリンゴの半分の値段だとわかっているとします。

この状況で、「閃いた。ミカンは1個120円だ。神はそう言っている」と言っても誰も聞いてくれません。

「は? 何言ってんだコイツ? 普通に考えて50円だろ」と思われることでしょう。

いいですか、昔の僕。

君はよく、論理ではなく閃きがどうのと言っていますね。

それはまさにそういうことです。

いますぐやめてください。お願いします。

論理的に考えるとミカンは1個50円だとわかります。

 

つぎに、論理からはずれたものが大発見につながる件ですが、

ここでリンゴは10個だと900円、100個だと8,000円で買えることがわかったとしましょう。

論理性のないそこの僕はこれを聞いても「ふーん」で終わるでしょうが、論理性のある先生は「いや、それはおかしい。なんで10個1,000円、100個10,000円にならないんだ」と気がつきます。

つまり論理性のある人だけが、スケールメリットを発見することができるのです。

論理性って本当に大切なものですね。

 〜 説明おわり 〜

 

 

論理性を鍛える方法

 

研究者にとって論理性が大事なのはわかった。

じゃあ論理性はどうやって鍛えればいいのだろうか?

それについては以下の文を紹介したい。

 

 論理性をどう磨けばいいのか。それがわかれば苦労はしません。一般論についてもよくわかりません。しかし私はある方法を持っています。それをご紹介しましょう。

 私にとって論理性が問われる場面とは、論文の執筆とか学会でのプレゼンテーションです。理系の学生でしたら、どういう実験を組み立てるかとかでしょう。

 そのときに私が必ず無意識におこなっている方法、それは頭の中に「もう一人の人間」を置くことです。

 例えば論文執筆をおこなっているときは、厳しい読者とか、論文の審査員をイメージしています。学会のプレゼンテーションの準備では、ともすれば寝てしまいそうな聴衆をイメージしています。また場合によっては、初学者レベルや一般市民レベルを想定しなくてはならないときもあります。

 私は常に「頭の中の他人」と脳内で会話しながら物事を進めていきます。もちろん頭の中の他人はとても厳しく、いろいろなイチャモンをつけてきます。また彼は頑固で飽きっぽく、理解力もそれほど高くありません。そういう人でも理解できるようにやさしく説き伏せるのです。そしてわかりやすいだけではなく、エキサイティングでなければなりません。彼が退屈しないで、逆に興奮してくれなければダメなのです。

 もちろん「彼」とは自分そのものです。自分の知識が足りなかったり、甘かったりすれば批判者として役に立ちません。彼の能力を磨くためには、自身の基礎的な知識が必要なことは言うまでもありません。

 

中山敬一『君たちに伝えたい3つのこと―仕事と人生について 科学者からのメッセージ』pp.156-157より

  

つまり論理性を鍛えるには、自分と会話するのが良いということだ。

これを実践するのは簡単だった。

以下、僕の体験を紹介する。

 

 * * *

 

僕は論理性を鍛えるため、頭の中でもう一人の自分と会話をすることにした。

たとえば研究の進捗報告を書いているときはこんな感じだ。

 

僕A「この実験もうまくいかなかった、と」

僕B「まるで毎回うまくいってないみたいだ」

A「この実験、うまくいかなかった」

B「それだとちょっとネガティブでは?」

A「この実験はうまくいかないことがわかった」

B「いいね、もっといけるよ」

A「この実験で予想外の結果が得られた」

B「うむ。ものは言いようですね」

 

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*もう一人の僕(理想)

 

ちょっとたとえが悪かった気がする。

 

ともあれ僕は一人でいるときは、気がすむまで「もう一人の僕」と会話を続けた。

さみしい人間だったかもしれないが、そのぶん自由にいろんなことを考えられた。

 

でも周りに人がいるときは、話し声とかが気になってうまく会話(脳内)ができなかった。

そこで僕はできるだけ一人でいることにした。

 

たとえば、同じ研究室の皆はいつもお互いに誘い合ってご飯を食べに行く。

そんなとき、僕は「ちょっと今は手がはなせない」的な雰囲気を出すことにした。

しばらくすると、一緒にご飯を食べに行く「皆」に僕は含まれなくなった。

 

そして僕は皆が研究室に帰ってくるころを見計らってご飯を食べに行く。

皆と離れたい場合、同じ行動を時間差をつけて行うのが効果的だと、僕は発見した。

同じレールの上を少し遅れて回っていれば、いつまでも出会うことはないのだ。

 

僕は食堂やカフェには行かず、誰もいないミーティングルームでコンビニ弁当を食べた。

誰かがとつぜん部屋に入ってきたときのために、いつも論文をテーブルに出しておいた。

これで僕は勤勉な学生に見える。論文はたまに読んだ。

 

忘れているかもしれないけど、僕の孤独はすべて論理性を鍛えるためだ。

つまり研究のためにあえての一人ぼっちなのである。

僕のぼっちには大義があり、正義は僕にある。

ぼっちが、ぼっちこそが論理性を高める。ぼっち最高。

さあ、みんなも一緒に。ぼっちさいこう!

 

女子がいる研究室がうらやましいなんて思わない! ぼっちさいこう!

 

楽しそうに研究の話をしてる人たちをみても妬んだりしない! ぼっちさいこう!

 

キャンパスを一人で歩いてて突然さみしくなったりしない! ぼっちさぃこおぉぉおおあっ!!!

 

 * * *

 

……はぁ、はぁ、すみません。途中から自分を見失いました。

まとめます。

 

研究者になるには論理性が必要だ。

論理性を鍛えるには、頭の中にもう一人の自分を置いて、いろんな批判とか可能性を言わせるのがいい。

自分の期待や直感に合わない意見を進んで検討するというのは、けっこうつらいものがある。

でもそうやって生み出した成果は、将来の科学的検証に耐える確かなものになる。

未来の研究者がその上に乗っても、簡単には崩れないような成果を積み上げることできるのだ。

 

と、まあ言うのは簡単だけど、いくら大事だとわかっていても実際、論理的であり続けるのは難しい。

人間、感情に流されるときもあるし、いろんな利害に目がいくときもある。

それでも、いつも論理性を大事にできないと研究者でいられなくなる。

ずっと研究がしたいから、今日ももう一人の僕と話をしようと思う。

 

「人類の歴史に積み重ねていくんだよ。積み重ねるものは泥では駄目なんだ。荒削りでもしっかり固い石を積み重ねていくんだ。それが人類の科学の世界なんだよ」

 この話を聞くと私には見える世界があった。乾燥した台地の上に、無限の石の塔がある。空気は暑く乾燥していて、空は青く高い。あるところには丸い石の土台に細長い石が載り不安定に空高くそびえたっている。小石がいびつな形で寄り集まって小山になっているものもある。しっかりした四角いレンガが低く積み重なったものもある。いびつながらも固い石が高く積み重なっているものもある。先端が風化して土台だけを残し、砂の残骸になってしまっているものもたくさん見える。崩れた石の塔もたくさん見える。この世界を思い浮かべるたび、科学の女神の神殿を永遠に造り続ける作業のように思えた。

「小さな石をちょんと載せるような仕事も、その小さな石は固くないといけないよ。上から新たな石が載った時に潰れるような石であってはいけないよ」

「STAP現象は新たな柱の土台になるよ」

 こんなにも美しく崇高で永遠のもの。この世界で変わらない唯一のもの。変化のある不変のもの、科学。携われることは幸せだと思った。神戸の夜景が消えた後、言葉少なに走るタクシーの車窓から、私はいつも先生の言う女神の神殿を思った。疲れ切っていたが先生の言葉は心に響いた。私もいつかそんな世界を見てみたいと思った。

 

小保方晴子『あの日』p.136