「ここでは”Interesting”って言うのは禁止にしてるの」
彼女はそう教えてくれた。
「面白いって思った時に、”面白い”って言うとそれで終わっちゃうのよ。それって残念でしょ?」
「残念?」と僕は聞いた。
「そう。面白いことはもっと面白くしたり、別のアイデアにつなげたりしたいじゃない?」
彼女は笑ってそう言った。
僕にとって、それは目が覚めるような言葉だった。
優れたアイデアをただ「おもしれぇ」と聞いていた僕と、
どうすればそんなアイデアを出せるのか考えていた彼女たち。
研究をスポーツにたとえれば、彼女たちがプレイヤーで、僕はただの観客だった。
自分が情けなくて、死にそうだった。
留学先で教えられたルールは、他にもいろいろあった。
- 人の発言に意見する時は、必ず最初にポジティブなことを言う(感情的にならず、建設的な議論ができる)
- ミーティングで発言しないなら、参加しない方がいい(邪魔だから)
- 議論する時は、相手の地位やキャリアは無視して発言する(議論の内容が狭くなるから)
などなど。
留学で学ぶことは多い。
もし海外に行けるなら行った方がいい。
それは皆さまご承知の通りである。
でも海外に行くことは簡単じゃない。
時間やお金、受け入れ先など、多くの問題をクリアする必要がある。
そして今、それらの問題を解決した優秀な学生でも、感染症の問題で留学を断念している。
そこで今日は、海外に行かずに留学と同じことを学べないのか考えてみたい。
むしろ今時わざわざ海外に行く必要があるのか?
僕が学生だった頃と比べても、インターネットで得られる情報はあきらかに増えた。
- 海外の著名な先生たちの講義(例:ハーバード白熱教室)
- 有名なラボの研究指導(例:Whitesides先生の論文の書き方)
- 論文についてくる膨大なサプリメンタリー・インフォメ―ション
- 研究者が日々を発信するSNSやブログ(例:Editage Insights)
- 学会発表の配信、ウェブミーティングの普及
などなど、海外の研究について日本からでも多くを知ることができる。
研究以外の点、たとえば言葉や文化にしても、日本にいても学ぼうと思えば学べる。
(Interesting禁止の話も、映画『はじまりへの旅(字幕版)』に出てきます)
今後、5GやSNS、リモートワークがさらに普及して、さらに多くの情報がネットで得られるようになるのは間違いない。
そんな中、多くの時間とお金を使って、わざわざ留学するメリットが本当にあるのだろうか?
留学の目的は、海外で研究を学ぶことではない
……なんてことを書くと、留学経験のある先生たちに怒られる。
「留学の一番の目的は、海外の研究を学ぶことではない!」とか言って。
まったくおっしゃるとおりです。僕もそう思います。ありがとうございました。
留学の最大のメリットは他にあって、それはネットで学ぶことが難しい。
小坂井敏晶先生の言葉がわかりやすいので引用します。
多くの留学生が日本から欧米に毎年出かけ、研鑽に励む。哲学を学ぶためにドイツに留学したり、生命科学の研究者が米国の最先端研究所で研修する。本場に行き、日本では得られない情報を収集し、その分野で権威をなす教授の薫陶を受ける。
だが、留学に期待する最大の恩恵は、進んだ情報を本場で得る輸入業にはない。異文化からもたらされる知識は、加算的に作用して既存の世界観を豊かにするのではない。新しい知識を加えるのではなく、今ある価値体系を壊す。これこそが留学の目的だ。
科学や学問の進歩に貢献するのは、新事実の発見だけではない。より重要なのは、事実を把握する思考枠の見直し、つまりメタレベルでの再構築である。
小坂井敏晶『答えのない世界を生きる』より
自分の知識に何かを加えるためではなく、自分の知識を壊すために海外に行く。
自分のこれまでの考え方や物の見方を捨てることで、新しいものの見方ができるようになる。
これが留学の最大のメリットだと、僕も思う。
現象の新しいとらえ方を発見すること(conceptual advance)は、論文をインパクト・ファクターの高い雑誌に載せるなら必ず要求される。
いい論文を読んだことがない人にいい論文は書けない。早いうちに先生とかにおすすめ論文を聞いてみるといいと思う。僕はラボに入った時に必読論文リストをもらった。だいたい全体的に短めで、イントロに研究の歴史や全体像が書かれていて、結論では新しいコンセプトが提示されてるようなやつ。
— 森野キートス (@ki1tos) 2019年4月24日
これまでとは違う新しい考え方ができるかどうかは、研究者として生きていけるかどうかを大きく左右する。
でも、この「新しい考え方」をネットで学ぶことは難しい。
ネットで得られる情報の限界
ネットで得られる情報は、自分が知ってることだけ。
たとえ知らないことを調べるときでも、少なくとも検索ワードは知ってないといけない。
つまり「自分は〇〇を知らない」ことを知っている状態。
知っていることをいくら調べたところで、今の知識の延長にすぎない。
自分の物の見方は変わらない。
新しい考え方は、今の自分には想像もつかないからこそ新しい。
本当に知らないことは、自分から調べる能動的なインプットでは学べない。
自分が意図せず見たり聞いたりする、受動的なインプットから学ぶことができる。
ネットで受動的に得られる情報は広告くらいで、ほぼ能動的なインプットしかできない。
これがネット学習の限界である。
留学すると、そこの先生や同僚の何気ない言葉やしぐさ、習慣の中に、これまで想像もしなかった考え方が見つかる。
そんな受動的な学びには、新しい環境に飛び込んで長い時間を過ごすのが一番だ。
じゃあ結局、やっぱり留学しないといけないのか?
僕はそうではないと思う。
新しい環境は、海外にしかないわけじゃない。
関西と東京だって、研究環境は全然違った。
教育義務のない研究所や企業には、外国人が運営する研究室が日本にもたくさんある。
同じ大学だって、別のラボじゃ文化が違うなんてざらだ。
そこでインターンや共同研究をすれば、新しい価値観は学べると思う。
留学で学べることは日本でも学べる、が僕の結論である。
……ところで、じゃあなぜ僕はわざわざ十数時間も飛行機に乗って外国に行ったのだろうか?
興奮しすぎてマイルを貯めることも忘れていた僕に、残ったものはなんだろうか?
最後に少しだけ考えておわりたい。
僕が留学した理由
大学院に入って、ようやくまともに論文が読めるようになった頃、よく見かける名前があった。
ピーターというアメリカの研究者だった。
彼の論文はいつも文章がわかりやすくて、図が綺麗で、なによりなんだかとても楽しそうだった。
論文のちょっとしたところに、彼の遊び心みたいなものが見え隠れしていた。
僕は国際会議に出るたびに、彼の名前を探した。
でも会議にいたのはいつも彼の同僚で、ピーターは来ていなかった。
聞いてみたところ、彼は飛行機が苦手で学会にはほとんど出ないらしい。
それから、ピーターについていろんな話を聞いた。
彼は時間に厳しくて、午後3時になるとミーティングの最中でも必ずティータイムをとるとか、
彼の奥さんを自分の大学の准教授のポストにねじこんだとか、
彼の部屋には日本刀が何本も飾ってあって、怒ると刀を振り回すとか。
ピーターについての謎は深まるばかりで、僕はどうしても彼に会いたくなった。
結局、僕が彼に会えたのは博士課程のなかばだった。
実際に会ってみて、彼の噂の半分は嘘だったとわかった。
よく思い出してみると、僕はからかわれていただけだった気がする。(あいつら絶対ゆるさねぇ)
でもピーターに会って、僕の研究人生は変わった。
彼の言葉を一つ紹介したい。
「Enjoy your life first, and then, do a little science.」(まずは人生を楽しみ、それから少しばかり研究をたしなもう)
被引用数6千を超える偉大な研究者の言葉の真意は、いまだに僕にははかりしれない。
でも、この言葉に僕は本当に感謝している。
学生の皆さんが、国境なんて関係なく、会いたいと思う研究者に会えたらいいなと、僕は思う。