(中二病的妄想回)
こんにちは、森野キートスです。
静かな雨が降ってる日曜日の朝。
空気がひんやりしていて気持ちいいですね。
もう9月ですもんね。
橘玲先生が『雨の降る日曜は幸福について考えよう』とか言われていたのをふと思い出しました。
雨の降る日曜は幸福について考えよう Think Happy Thoughts on Rainy Sundays
- 作者: 橘玲
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2004/09/10
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それで、朝ごはんを食べながら幸せってなんだろうかと考えてました。
科学的に幸せとは何かと言われると、脳内で化学物質(セロトニンやらオキシトシンやらエンドルフィンやら)が分泌されることで感じる感覚ってことになりますよね。
みもふたもないことをいうと、幸せは脳汁(セロトニン)の量で決まるらしい。ほんで人間は脳汁の量を一定に保とうとする働きがあるらしいな(ホメオスタシス)。つまりどんだけええことあってもすぐ素にもどるゆうことやな。どんだけ悪いことあってもな。永遠の幸せは虹みたいなもんや。
— 森野キートス (@ki1tos) 2018年5月10日
(ちょっと昔のツイート。キャラが違うw)
だからもし幸せになりたいなら、このセロトニンを何がしかの方法で出せばいい。
法律とか倫理とか無視すれば、一番てっとり早いのは麻薬を注射や吸引すること。
合法的なものなら、うつ病治療に使われるいくつかの薬を飲めばいいし、もっとカジュアルに砂糖やカフェインを大量に摂取してもいい。
カフェイン、アルコール、ニコチン、シュガーは合法麻薬やろ。どれも原価いくらやねん。これまでちょっとずつちょっとずつ値上げしてきたんやろね。利権がすごいわ。ドラッグやめるには物理的に距離おくしかないいうけどこいつら無理やん。気をつけなほんまヤク中になるで実際。
— 森野キートス (@ki1tos) 2018年5月12日
もっと健康的()なものなら、仕事頑張って成果出して上司に褒められたり、部下から尊敬の眼差しで見つめられたり、あるいは恋人と情熱的なセックスをしてもいい。
そんなのも面倒くさいなら、ゲームや漫画の世界で魔王を倒して、その世界の住人から惜しみない賞賛と感謝を受けてもいいし、アニメの世界で恋愛したり、AVみてオナニーしまくったっていい。
重要なのはこれ全部が科学的に裏付けされた、幸せになる方法だってこと。
世間一般で幸せとされている、恋人作って、結婚して、家を買って、子供作るってだけが幸せになる方法ではない。
それが唯一の方法であったのは、ドラッグの類も、ゲームやアニメやAVがなかった時代の話。
だから今の時代、幸せになるために他の選択肢を選ぶ人が増えるのはすごく自然なことだと言える。
さらに言えば、コストパフォーマンスを考えられる頭のいい人たちほど、ドラッグや娯楽の類で幸せになろうとする。
だって自分一人で、好きな時に、あまりお金をかけずに幸せになれるから。
誰かと一緒に幸せになる方法は面倒くさいし、お金もかかる。
エアコンの効いた部屋で、パソコンがあって、あとは近くにコンビニがあれば、一人で十分、いやむしろ一人の方が幸せになれるのに、なんでわざわざ他人と関わらなけらばならないの?
それは全くその通りだし、その幸せを科学的に否定しようはない。
しかし(村上春樹風に言えば)完璧な幸せなどといったものは存在しないのである。完璧な絶望が存在しないようにね(ドヤ)。
だからあえて、ここでその幸せにケチをつけてみようと思う。
すごく私の主観に基づいた要点は以下だ。
- その幸せは、麻薬中毒患者の幸せと本質的に同じものである。
- 麻薬中毒患者は、麻薬を摂取している限りずっと幸せでいられる。
- しかし我々(第三者)がその患者をみると可哀想に思う。
なぜだろうか。そこには完璧な幸せがあるはずなのに、どうして私もああなりたい、麻薬が欲しい、と思わないのか?
人間の本質が社会性動物だからだろうか。
つまり石器時代に仲間と協力しなければすぐに猛獣や厳しい気候や食糧難にみまわれて死んでしまう、といった時代の記憶が今も遺伝子に刻まれていて、一人で生活する個体をみるともうすぐやつは死ぬだろうと反射的に思うからだろうか?
ここで一つ、アルコール中毒者の話を引用しよう。
かつてアルコール依存症は治らないとされていた。
陥ったら最後、人は酒の害に気づきながらも、
酒への渇望から逃れられず、なすすべもなくその身を滅ぼしていったという…
ところが1935年、酒でボロボロになっていたビルとボブという2人のアルコール中毒患者が出会い、互いに自分のこと、酒のことを話している間はどういうわけか酒への渇望から開放され、その日一日は大丈夫であることに気づいた。
2人は別のアルコール依存症者を訪ね、同様の方法を試みたところ、どうしようもないと思われたその男も断酒生活を獲得。
それがアルコホーリクス・アノニマス(AA)の出発点となり、様々な形の自助グループが世界中に広がることになる。
断酒の三本柱、「通院」「抗酒剤」そして、「自助グループ」
回復への道筋として現代でも、最も有効とされている手段である。
(柏木ハルコ『健康で文化的な最低限度の生活』第6巻より)
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この例が示す教訓は、たとえアルコール中毒であっても、人とのつながりがあれば酒なしに生活できる、ということである。
つまり人とのつながりはアルコールの代わりに幸せをもたらしてくれる。
いや、そもそもそのアルコール中毒者は、人とのつながりで幸せになれなかったから、より手軽なアルコールに手を出したのかもしれない。
言いたいことをまとめると、
- 人間は社会性動物だから、本来は人とのつながりの中で幸せを感じる。
- しかし現代はその幸せをより簡単に感じさせる多くの発明品であふれている。
- その人工的な幸せに浸る人を見て、我々もそうなりたいと心から思わない理由は、それが遺伝子に刻まれた人間本来の幸せとは異なるからである。
だから結局我々が幸せになる方法は2つしかない。
- 一つは人間本来のあり方に従って、人のつながりの中で苦労しながら幸せを得る。
- もう一つは人間が生み出した技術の恩恵を惜しみなく受けて、手っ取り早く幸せになる。
どっちがいいかは人によるんでしょうな。
一つ疑問はことは、もし自分はもうすぐ死ぬとなったとき、アルコール中毒の人はやっぱりお酒のことを考えるのだろうか?
私はきっと大切な誰かのことを考えるんだと思う。