ずっと先生の話聞いてなかった

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大学院のころ、僕には憧れていた先輩がいた。

 

憧れていた、というのは、

「いつか先輩みたいになりたい」というよりは、

「いつか先輩と一緒に観覧車に乗りたい」という方だ。

恋愛的な方だ。

 

しかし、この記事で伝えたいことは、恋愛的なことではない。

僕としても恋愛的なことを伝えたいのはやまやまなのだけど、無い袖はふれない。

悲しい。

 

いつだったか、先輩と学食に行ったとき、

「先生って、たまに同じ話するよね」と、先輩が言った。

「そうですね」と、僕はうなずいた。

 

たまに、というか、先生はよく同じ話をした。

きっと毎年毎年、新しい学生が研究室に入ってくるからだろう。

先生としては、大事なことは一年に一度は言わないといけないのだ。

 

その日もたしか、「失敗にみえる結果にこそ大切なことが隠れている」という話をしていた。

先生の好きなフレミングの話だ。

カビが生えてしまった培養皿を捨てず、それを研究してペニシリン(抗生物質)を発見したらしい。

 

でも僕はもう研究室に3年くらいいたので、先生の話は、「ああ、これ聞いたことあるな」と思うことが多くなっていた。

そんなときは退屈なので、自分の研究のことを考えたり、論文を読んだりしていた。

 

 

正直、退屈ですよね、と僕は先輩に言おうとして、ショ、くらいでやめた。

「私あれ聞くの、けっこう好き」と、先輩が言ったからだ。

「なんでですか?」と、僕は聞いた。

「だって、先生すごい楽しそうだから。聞いてると、こっちまで楽しくなってくるの」

 

それを聞いて、やっぱり先輩は変わってるなあ、と僕は思った。

先生がいくら楽しそうにしてても、と僕はポカンとしてることが多かった。

 

「先生の言いたいことはわかりますけど。でも今日の話なんて、ただフレミングがすごいってだけじゃないですかね?」と、僕は釈然としない気持ちを伝えてみた。

すると先輩は、

「え、ちがうよ。むしろフレミングも考えが足りなかった、って話でしょ」と言った。

 

「え? どういうことですか」

「フレミングはペニシリンを見つけたけど、それが薬に使えることは思いつかなかった。だから先生が言いたいのは、結果はいつもいろんな角度から検討してみないといけない、ってことでしょ?」

 

「……そうだったんですか?」

僕がそう言うと、先輩は、

「モリノくん、話聞いてなかったの? ダメじゃん」と笑った。

 

 

ずっと先生の話聞いてなかった

 

それからだいぶ後で、フレミングの話を先生からまた聞くことができた。

 

 ペニシリンを発見したA.フレミング(Alexander Fleming)の場合も、それまでの自分の考え方でしかデータを見なかったという良い例である。

 ふつうの細菌学者は、培養皿にカビが生えてしまったら、細菌の研究にならないので、すぐに捨ててしまう。ところが、フレミングは、カビが細菌を殺すことに興味をもって、ペニシリンを発見することになる。ここまでは、ふつうの人が考えつかない見方でフレミングが培養皿のカビを見た、という話に使われる。

 しかし、私がいいたいのは、この後のことで、フレミングもスーパーマンではなかったというお話である。彼は細菌の増殖を抑えるのに10年もペニシリンを使っていたが、医薬品として病気の治療に使おうとは夢にも考えなかったのである。

 

Frederick Grinnell『グリンネルの研究成功マニュアル―科学研究のとらえ方と研究者になるための指針』p.41


先輩は正しかった。

僕は先生の話を聞いていなかった。

 

先生の話を勝手に解釈して、わかったつもりになっていた。

あの話はもう何回も聞いて、十分わかったと思っていたのに。

初めて聞いたときに勘違いして、それから僕はずっと、ハイハイもうわかりましたと、先生の話をちゃんと聞かなかったのだ。

 

それなのに、僕は「先生の言いたいことはわかりますけど」なんて言っていた。

恥ずかしすぎた。

 

 

自分を疑って聞く

 

それから、僕は聞いたことがある話でも、疑って聞くようになった。

疑っているのは自分だ。

僕はこの話をほんとうはちゃんと理解できてないんじゃないか、と疑いながら先生の話を聞いた。

 

そしたら、いつも何かに気がついた。

「話しているときの先生が異常に楽しそう」みたいな小さなことだったり、

「ある専門用語を自分はこれまで少し間違えて使ってた」みたいな大きなことだったりした。

何かに気がつくのは嬉しくて、先輩が「同じ話を聞くのが好き」と言ったのも、わかるような気がした。

 

でも、聞くたびに新しい発見があるなんて、なんかいい感じに聞こえるけれど、それはつまりわかってないところがまだまだある、ということだった。

僕は卒業するまでに、先生の話をほんとうに理解することができるのだろうか、と思った。

 

 

「わかる」のはそんな簡単じゃない

 

大学院を卒業した今、先生が教えてくれたことを自分がぜんぶ理解できたとは、まったく思えない。

毎日研究していると、「ああ、あのとき先生は何て言ってたかなあ」と、思い出せなくて困るときがある。

 

でもたぶん、誰かの話を「わかる」というのは、そんなに簡単なことじゃないんだろうな、と今は思っている。

 

「やっぱり、すぐに『わかる』って言う奴はダメだと思うんだ。“わかる”って、“わける”ってことだもん。物事は全部繋がってると思う。だから簡単にさ、わかるって言う奴はダメだと思うんだ」

 

燃え殻『すべて忘れてしまうから』p. 88

 

僕が先生の話をいまだにわかってなかったとしても、先生に教わった多くのことが、今の僕の研究生活を支えてくれているのはたしかだ。

 

 

という感じで、できのわるい自分をなんとか許してもらおう、という作戦である。

ああ、無理だな。

先生ならたぶん、僕がほんとうにわかるまで、何度でも楽しそうに同じ話をするんだろう。