幸せは虹のようなものだって誰かが言ってませんでした?

こんばんは、森野キートスです。

 

今日は幸せについてヤミヤミ考えてみたいと思います。

 

 

1. 幸せの国はどこにあるのか?

 

まずはひとつ、たとえ話。

 

ある日、ぼくのもとに政府から手紙が届く。そこには、

 

「あなたに特別給付金として1000万円を支給します」

 

と書いてある。

 

それは詐欺などではなく、100%の真実だとしましょう。

 

そしたらぼくはどう思うか?

 

まず間違いなくラッキーだと思うな。

 

神様にだって感謝するかもしれない。これまで一度もまじめに祈ったことないかもしれないけど。

 

だって今の世の中、1000万円もあれば大体の問題は解決するから。げっへへ。

 

そうこの瞬間、ぼくは間違いなく幸せ。

 

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次の日、ぼくは一応職場に行く。なんせぼくは責任感の強い人間だし。

 

お金が入ったからって、もういいやって仕事をほっぽり出すわけにもいかないよね。

 

しかし、ぼくは職場で驚きの真実を知ることになる。

 

なんと世の中のすべての人たちが1億円の給付を受けることになったいうのだ。

 

 

ただしぼくを除いて。

 

 

さぁ、このときぼくはどう思うだろうか。

 

 

「あぁどうしてなんだ!!」

 

 

「なぜボクだけが!!」

 

 

そんなふうに自分を、世の中を、神さまだってを呪うかもしれない。

 

だって世界でたった一人、ぼくだけが他の人の10分の1のお金しかもらえないのだから。

 

そうこの瞬間、ぼくは間違いなく不幸だ。

 

以上、たとえ話終わり。

 

 

この話の教訓は、世の中に絶対の幸せなんてないってこと。

 

幸せか不幸せかなんて、誰と比べるかで変わるとてもフラフラしたものだから。

 

まるでブランコに乗ってるみたいに、ぼくは幸せと不幸せの間を行ったりきたり。

 

でも幸せになりたいぼくは、こうすればもっと幸せになれるとか思って、今日も一生懸命ブランコをこいでる。

 

でもぼくのそのがんばりは、ブランコの揺れ幅を大きくするだけ。

 

決して幸福の国に飛んで行けたりはしない。

 

人はそういうふうにできてるから。

 

ほんとかよって?

 

じゃあ次はもっと科学的な話で自分を追いつめていきたい。

 

 

 2. 幸せに殺されるネズミ

 

ぼくはそんなに簡単に人の言うことを信じないから、

 

「いや、ボクはきっと幸せになれる」

 

とか思って毎日がんばってる。

 

そんなぼくのために、ある科学実験の話をしたい。

  

大きな檻の中に、小さなオスのネズミが一匹入っている。

 

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そのネズミの頭には、コードにつながった針が数本さしてある。

 

頭に針を刺されても、ネズミは元気に檻の中を駆けまわっている。

 

 

あるとき、ネズミは檻のすみっこにあるスイッチを踏んだ。

 

すると、頭の針から弱い電気が流れて、ネズミの脳の快楽中枢を刺激した。

 

「チュウウゥゥッツ!!!」

 

ネズミのあえぎ声が響く。

 

 

ネズミは口からよだれを垂らして倒れこんだ。

 

するとスイッチが元に戻り、電流が切れた。

 

 

しばらくすると、ネズミはよたよた歩き、また同じスイッチを踏んだ。

 

しかし今度は電流は流れない。

 

ネズミはスイッチの近くを歩きまわる。

 

 

ふと、檻の反対側にも同じスイッチがあるのを見つけた。

 

ネズミは走ってそのスイッチを踏んだ。

 

「チュウウゥゥッツ!!!」

 

今度は電流が流れた。

 

 

こうしてネズミは、檻のなかを走りまわり、2つの快楽スイッチを交互に踏み続けるようになった。

 

檻の中にエサが入れられても、メスのネズミが入れられても、頭に針を刺されたネズミはいっさい興味を示さず、ひたすらスイッチを踏むために檻の中をグルグルまわり続けた。

 

 

そして、檻の床に電線が何本も張られた。

 

その電線には、常に電流が流れている

 

ネズミはその上を通ると足を火傷した。

 

しかし、頭に針を刺されたネズミはそれでも檻の中をグルグルまわってスイッチを踏み続けた

 

実験室には肉の焦げる匂いと、ネズミの喘ぎ声で満たされた。

 

ネズミの声は、少しづつ小さくなっていった。

 

 

3.  幸せの青い鳥

 

この実験で、ネズミは足が焼かれる痛みに耐えてでも快楽を求めた

 

そう、可哀想なネズミの話。

 

 

でももしこれがネズミじゃなくて人間だったら?

 

ぞっとするでしょ?

 

でも実際、この世の中では似たようなことが起こってる。

 

  • スマホゲームが大好きで、食費削ってガチャ回してるヒト。
  • お酒が大好きで、週末の夜は浴びるように飲んでるヒト。
  • セックスが大好きで、女の子に美味しいご飯食べさせまくってるヒト。

 

みんな気持良くなりたくて、それぞれの快楽スイッチを必死で押してる。

 

たとえそのせいで栄養不足になったり、健康を損ねたり、家族を失うことになったりしても。

 

だってそれは自分を幸せにしてくれるから。

 

 

ガチャとか、お酒とか、セックスはぼくの脳汁(セロトニン)をドバドバにする。

 

そうなるとぼくは

 

「あ゛あぁぁぁ…いぎててよがったぁぁああ…」

 

とか思う。

 

 

つまり(ここが大事なんだけど)、

 

結局ぼくの幸せは脳汁の量で決まる。

 

友情とか、愛とか、家族とか、そうゆうのだって結局は脳汁が出るから幸せ。

 

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でね、脳汁の量ってのは大体一定に保たれるようになってる。

体温がだいたい36度五分に保たれるのと一緒。

 

この脳汁がちょっと増えるとぼくは幸せになって、ちょっと減ると不幸になる。

 

 

だからどれだけおカネを持ってようが、夢のようにキレイな女の子と結婚しようが、ぼくの幸せとは関係ない。

 

 

そりゃ手に入れた瞬間は脳汁出て幸せだよ?

けど脳汁の量はすぐ元に戻る。

 

それでぼくは

 

「おかしい…こんなはずじゃ…もっと幸せになりたい…」

 

とか言って、もっと多くのカネとか、もっとキレイな女の子がほしくなる。

 

そうするとぼくは、ひからびるまで幸せを追い続けるか、疲れてあきらめて欲求不満で人生を終えることになる。

 

だからね、

もう幸せになろうとするのはやめなよ

 

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結婚とか、子供とか、おカネとか、自由とか、恋愛とか、

他人が「こうすれば幸せになれる」って言ってくるものは全部ウソだから。

 

別に幸せにならなくていいし、今この時だって見方によってはすごく幸せ。

 

結局、自分の好きなように生きればいい。

 

幸せってニンジンを追いかけて走っても、ぼくの背中に乗ってる誰かが喜ぶだけだよ?

 

そんなの無視して、気の向くままに歩いていけばいいよ。

 

 

以上、おわり。モイモイ!